10月6日立川のJA東京第一ビルで開催した。
江戸東京野菜推進委員会では協議事項として、江戸東京野菜の
歴史伝承作物の新規登録と、登録品目の呼称変更が行われた。
檜原村湯久保の鑾野(すずの)大豆は、檜原村湯久保に住む、
��橋ハツエさんの姑さんが10年ほど栽培した後、引き継いで
栽培してきて、湯久保に広がった。
ハツヱさんが「おとうちゃんの大豆」と呼んできた大豆で、
��橋政秋さんから聞いた話を、丸山美子さんが
「鑾野大豆ものがたり」にまとめている。
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戦後15年、当時17歳だったご高橋政秋さんは、口減らしで、
元八王子の農家に奉公にだされた。
その農家では、大豆から食用油を取っていて、
倉庫には沢山の大豆があった。
正月に、里帰りをする時に、一握りの大豆を持ちかえり、
母親に渡したことから自家用に栽培が始まったもので、
60年以上の栽培が檜原村湯久保で行われてきた。
この大豆は2010年12月24日ジーンバンクに登録されている。
日本各地にあったが、大正期に伝わった支那(中国)種のこんにゃくに
より、交雑してわが国の在来種は、減少の一途をたどっている。
関東における在来種は、群馬を始め、栃木、茨城と北関東に
集中していたが、東京に在ったことに研究者も驚いていた。
檜原村の在来種は、数馬、藤倉、湯久保の農家によって
守られてきたが、先日、群馬県農業技術センター内にある、
こんにゃく特産研究センターの技術者が貴重な在来種を
持ちかえっている。
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写真が在来種である特徴。
江戸東京野菜の雑司ヶ谷ナスと同じ
「中生山ナス」に、中野中生山ナスを追加する
雑司ヶ谷ナス・中野中生山ナス(中生山ナス)
中野中生山ナス
中野中生山ナスは中野村の名主堀江家が育種したナスです。
青梅街道が整備され中野村が作られると、
徳川家康の支配下に置かれた。
宝暦年間(1751-64)に中野村の名主・堀江家がナス苗を江戸城の
本丸、西丸、山里、吹上に菜園があり納めていた。
西山(武蔵野台地)と呼ばれた中野で栽培されたナスを「山ナス」と
呼ばれていた。
明治14年の名主だった堀江家は、堀江夘右衛門が村長をしている。
山ナスには早生・中生・晩生があり、草勢強健で病害抵抗力が強い
固定種で、現在栽培されているのはジーンバンク
(農業生物資源研究所)に保管されていた「改良中生山ナス」で、
2011年JA東京あおばが取り寄せたもので、
豊島区立千登世橋中学校で雑司ヶ谷ナスの復活栽培が行われた。
江戸東京野菜の「タケノコ」は孟宗だけのタケノコだが、
表示上は、「タケノコ」で、孟宗竹以外のタケノコも、江戸東京野菜として間違って表示されることが多く、表示上も孟宗タケノコとすることが望ましく、孟宗竹を育成している農家に江戸東京野菜だとの認識を
持たせるためにも改名することが望ましい。
薩摩から江戸に伝わった孟宗竹。それが江戸で有名になったのは、
「目黒の筍」として目黒不動尊の門前で季節に食べさせた「筍飯」が、
美味かったことから筍は目黒と云われていたが、数年前から産地の
品川では武蔵小山で、イベントを開催している。
講演があった。






