の横山日出現さんで、学生時代には、当時高崎駅前で旅館をしていた
お宅にも遊びに行って泊めてもらったこともある。
卒業後、彼は、カナダのトロントに農業移住していたが
その後、ヨーロッパに渡り、色々あってシャモニーに定住し
結婚してからは、華々しい活躍をされている。

話したら、テント張りの朝市の写真を送ってくれた。
上の画像をタッブする。
シャモニーで販売されている野菜は分ったが、販売している周辺
シャモニーの景色の写真は無いかと聞くと。
大野崇さん(中央)の写真展が始まるから行かないか、と・・・・
上の画像をタップすると動画
横山さんは奥様とご一緒だった。
大野さんは30回以上モンブラン山群を撮りに来ています。
今回もシャモニーを拠点に山と人を捉えている。
上の画像をタップする
モンブラン登頂には物語があると、話てくれた。
シャモニーはフランス東部にある山の谷間にある人口1万人の田舎町。
夏はキャンプに、冬はスキー客が集い、年間100万人の
観光客が来るリゾート地でもある。
特に、ヨーロッパの最高峰モン・ブラン (標高4810m)の麓に当たる。
町にはモンブラン初登頂にまつわる物語の銅像が幾つかあるという。
1760年以前、ヨーロッパを始めとする登山家は登頂を目指していたが、
失敗を繰り返していた。1760年だから江戸時代 スイスの自然科学者
ソシュールが、登頂ルートを発見するか 登頂を果たした者には賞金を
出すと宣言したことは、登山家達のモンブラン登頂の気運を
促すことになった。
シャモニーの若い医師パカールとシェルパ役の猟師で水晶採掘人パルマ
によって、1786年8月7日、モンブラン初登頂は成し遂げられた。
しかし、モンブラン登頂に挑みながら果たせなかった画家のプーリー
は、登頂を讃えられるバカ―ルに嫉妬して、パルマに助けられて、
バカ―ルはやっと登頂できたので、偉いのはパルマだとの話をひろめ、
パルマも否定しなかった。
しかし、ある男爵が、バカ―ルとパルマがモンブランを登頂する姿を、
望遠鏡で見ていたと日記に書いていたことが発見されて、初登頂から
200年後に名誉は回復され、パルマとは離れたところに、モンブラン
を見上げるバカ―ルの銅像が建立されたという。
高知の友人石川清彦さん(農大同級生)は、県庁に勤務していた時、
県庁のスキークラブ18人を横山さんの元へ連れて行ったと云う。
その後、高知で石川さんが企画した「シャモニー講演会」は、
横山さんが講師で開催したという。
上の画像をタップすると講演会のチラシ

吉原さんは息子さんが高校3年の時に、横山さんに
案内してもらったという。
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シャモニーで冬のバカンス満喫 - オヴニー・パリの新聞より
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新聞にある三浦雄一郎さんの父、敬三さんが2004年2月には99歳で
モンブラン山系のヴァレブランシュ氷河からのスキー滑降を
成し遂げた時、ツアーガイドをされたという。
敬三さんが行くならと大勢の、高齢者が参加されたそうで、
それらの方々に気を使ったとそうだが、全員無事に滑り終えた。
日本では2012年6月7日の読売新聞夕刊の「旅」がシャモニーで
横山さんが記者の問いかけに応えている。
野菜の写真はまだまだあった。

朝市に行くと、普段会えない人たちと会う事から、
買い物以外の楽しみもある。
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秋なのでクリ、クルミ、キノコ、hellweenなのでかぼちゃもあり、
山岳地帯なので酪農製品もあります。
土曜の昼メニュー、丸焼き鶏のローストは大人気です。

野菜売り場です。アフリカ、ヨーロッパ各国からの輸入が
ありますが、やはり地元の秋の作物が感じられます。
追録
フォトギャラリーギャラリーを出たが、昼時で、時間はあると
云うので、奥様と分かれて、少し歩くが、コレド日本橋の
「奈美路や」に予約をいれた。
挟んで、京橋大根河岸青物市場跡の碑がある。
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かつてバスツアーを行ったことを紹介した。
後で聞いたが。奥様は京橋大根河岸青物市場跡をご存じで
江戸東京野菜も興味を持って頂いたようで、ありがたい。
コレド日本橋4階の江戸料理の店、「奈美路や」に案内した。
京橋から少し歩いたが、仕事の話をしながらだから遠く感じなかった。
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同店は、日光江戸村がオーナー社で、
日光江戸村では、江戸東京野菜も使って頂いている。
追録
話を聞いていて思い出したが、
1980年8月欧米地域都市計画・土地税制実態調査団として
イタリヤからパリに向かう飛行機がモンブランの上空を飛ぶと
云うので期待していたが
生憎、上空は天候が悪く見ることが出来なかった。