2024年03月25日

小山田ミツバの説明板は、かなりマニアックな場所にあるので電車じゃ無理〜


ホテル グレイスリー田町の加藤仁思シェフは、これまで11期の
ラインに、活動の写真を掲載しているが、江戸・東京の農業説明板を
訪ねて、各地の産地巡りをしていた。

今年になって3月に、町田市の郊外にある、小山田ミツバの説明板を
見に行かれたと、写真が掲載されていた。




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今日は町田にある小山田ミツバの説明板を見に行きました!
かなりマニアックな場所にあるので電車じゃ無理〜顔1(うれしいカオ)

看板は食べられないのでミツバ食べてみたいですにこにこ

そのミツバは、2013年に発見された。





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上の画像をタップする。
上小山田神明宮に説明板は設置してあり、加藤さんが
「かなりマニアックな場所にある」としていて、
良くたどり着いたものだ。

説明板のある上小山田神明宮は、鎌倉時代の1223年頃に創建された
創建当初から明治維新までは、町田市田中谷戸にあり、「山王社」と
呼ばれていたが、明治7年に神明社、天王社、稲荷神社、神明社の
4社を合祀して、現在の場所に移転し、明治8年に神明神社と変更した。

設置した地元のJAから写真が送られてきていた。


近くにある栽培地は、山の南側、側面に穴を掘って栽培していたが
今は使われていない。

最近はこの辺りも宅地開発により、農地は減少している。

小山田ミツバは、切りミツバでウドと同じように、
まずは畑で栽培し、根がしっかりとした秋に掘り起こす。
葉を切った根株を穴倉に敷詰めて、栽培する。

この様子は映画「東京農業と都民の暮らし」で紹介している。

最後に50年前の映画にリンクしているのでご覧ください。
加藤シェフおりがとうございました。

posted by 大竹道茂 at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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