2024年04月01日

セルリーの収穫を見た後に、保原さんに清瀬市内を案内してもらった。


先月、清瀬市郷土博物館で「チャレンジ江戸東京野菜講座」
開催されたが、当日、聴きに来られた東久留米市の小学校教諭から、
出前授業の相談があったことを、講座に関わった清瀬市の
保原樹さんに、お伝えすると、今度、清瀬の担当者を紹介します
と云われていた。




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清瀬駅が出来て100年のカウントダウンがこの日も掲示されていた。


並木猛さんのセルリーの収穫を見に行った帰りに、保原さんが
迎えに来て、市の教育委員会学務係の坂間知子さんを紹介された。

清瀬市の坂田篤教育長には、2019年に小寺正明さんのお祝いの席で
お会いしていたが、清瀬市ではまだ出前授業は実現していない
ことを坂間さんにお伝えした。

教育長は、議会中でお会いする事とはできなかったので坂間さんには
都内で行っている出前授業についても紹介した。






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清瀬市の商工関係の仕事をしている保原さんに資料を頂いた。

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同博物館の中野光将学芸員に清瀬市の農業について教えて頂いたが
保原さんは、市内を流れる、柳瀬川流域と台地の農業を
案内してくれた。






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清瀬市中里6丁目の、伊藤記念公園の前を通った時に、
胸像が見えたので車を止めてもらった。

上の画像をタップするとyoutube。


伊藤ヨシさんの台座に記された、碑文はここから






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台田の杜は、江戸時代からの台田の自然を後世に残そうと、
市に寄贈した伊藤ヨシさんの思いが伝わってくる。

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オオムラサキのケージ

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この日はオープンしていなかった。





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台田の杜の一部が途切れて、切通し

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「この切通しは、崖線緑地に残された貴重な景観を形成したものと
なっております。」とある。






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切通しを抜けると、急な坂になっていて、かつては柳瀬川流域の
水田地帯に出る。

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田圃には、昭和42年に2,100戸の旭が丘団地が初めてでき、
昭和47年には田圃の後に957戸の台田団地が建設された。





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桜の並木が二列になって、
4月になれば、桜のトンネルになることだろう。

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金山橋からみる柳瀬川上流方向
posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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