2024年04月06日

沢井ゆずの歴史に詳しい、福島和夫さんにお会いして、ゆずの産地を案内してもらった。


先日、「沢井ゆず」について書いたが、ゆずに詳しい福島和夫さん
とお話しすることが出来たので、ご無理をいって沢井に行ってきた。

昨年氷川には廃線を訪ねているが、1年ぶりに青梅から
東京アドベンチャ―ラインに乗車した。

いくさばた駅を過ぎると急に、山間地の景色になる。

11時に沢井駅で待ち合わせだったが、遅れては思って一本前の
電車できたので10時半に、沢井駅に着いた。



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沢井駅の手前に、ピンクの花と菜の花が咲いていた。
時間もあるので、写真を撮りに行ってみた。
線路脇の急斜面に生えていた。

上の画像をタップする。
近くまで行って見上げてみたら、モクレンの花だった。
天気も良く、穏やかな日だった。






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青梅から先は無人駅で、沢井駅はひっそりとしていた。

約束の時間に軽自動車に乗ってきてくれた。
昭和11年1月11日のぞろ目が誕生日で今年、米寿を迎えた、
と云っていたが、30年振りにお会いした。


江戸時代に書かれた新編武蔵風土記稿」には、
村の名の起こりと柚子について記されている。
「村内所々に沢ありて、水にとぼしからず、故に村民等井の水を
たのまず朝夕の用水、竹を樋として各その近きほとりの沢より
引用ゆ、故にかく唱へしなるべしと云」とあり、
沢井は自然豊かな「清き水の里」でもある。

また、柚子については「土地は傾斜地で平地は少ないけれど土は
肥えている。村人は田のくろや道の傍に柚子の樹を植えているが、
土地に良く合っているので手をかけなくてもよく繁り、良い実が
生るので柚子の樹が多い。熟した頃には馬に乗せて江戸へ出荷し、
暮らしの助けになっている。」





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福島さんの資料にあった、山間部の青渭神社に連れて行って頂いた。
線路沿いから斜面を車で登っていった先に青渭神社があった。

JR青梅線「沢井駅」から徒歩15分(里宮、拝殿)とあるが、
若い時ならともかく、今の私では無理。
ここは、里宮で、更に登っていくと惣岳山で奥院があるち云う。

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社務所入り口に、彼岸桜が満開だった。
お手水は、沢から引いた水が常時流れていて、

拝殿前には一対の獅子の石像。
諺の「獅子の子落とし」獅子は我が子を千尋の谷に落とし、
上がってくるものを育てるから、親獅子と子獅子の石像は珍しい。





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宮野佳彦宮司が沢井ゆずの古木に案内していただいた。
今年の雪で落ちたのか、大きなゆずをひろって見せてくれた。
記念に頂いたが、良い匂いがしていた。

このゆずについては、福島さんが
「柚子は樹齢が100年を越えても実をつけるといいます。
このことを実証するかのように青渭神社の宮野宮司宅
(沢井三丁目〉の庭先には百数十年を経た古木があります。
近年木の勢いが衰えてきましたが、今でも実を結んでいる」
と書かれている。

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太い幹の上の方まで、苔がびっしりとついていたが、
2月に降った雪の重さで枝が折れたと云う。
幹の上の方から、太い若い枝が伸びているので、
今年は大きな実を着けそうだ。





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沢井駅のすぐ下に多摩の銘酒「澤乃井」がある。

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元社長の小澤恒夫さんは、大先輩で東京農大の醸造学科を出ていて、
OB会の会長をされていたから、飲んだこともある。

奥さんは、日本画家・川合玉堂の孫娘と伺っていて、対岸には
長男の小澤順一郎氏が館長を務める玉堂美術館がある。

ご夫妻ともご健在のようだが、小澤醸造は孫の幹夫氏が継がれた。
酒蔵前の奥多摩街道を挟んで、和食の「ままごと屋」があり、
多摩川の河岸、さくらが満開だった。




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ままごと屋のお豆腐 ・湯葉」が気軽に食べることができる、
食事処「豆らく」に入って、豆彩麺を注文

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とろ湯葉などがあってまず汁を飲んだ後、とろ湯葉を入れて
味の変化を楽しんでくださと店員さん。

食事をしながら福島さんの話をお聞きした。
福島さんからは、その後、資料を送って頂いていた。
ふるさとの産物(桃・柚子・梅)で
二俣尾の桃」、「沢井の柚子」、「三田の梅」のレポート。
ゆず以外にも、桃や梅もあった。

これらについては後日、紹介する。



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帰りに、澤乃井の売店で、沢井柚子の甘露煮とジャムを買った。

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ジャムのビンには、中里介山の大菩薩峠の一説があった。

御岳山には中里介山の「小説大菩薩峠記念碑」がある。
中3のキャンプで行ったが、碑の上であぐらをかいている。

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