2024年07月01日

山形大学の江頭教授を早稲田ミョウガの井之口農園と、発見された早稲田の地を案内した。


山形大学農学部の江頭宏昌教授が、江戸東京野菜の調査に来られるとの情報は、先日紹介した。

江頭教授は、前日東京で会議があったようで、9時に西武池袋線の
石神井公園駅で待ち合わせをしていた。

早稲田ミョウガを、2010年に発見し、以後今日まで栽培されている、
井之口喜實夫さんの話が聞きたいとのことで、お宅に案内した。


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井之口さんのお宅には5月に伺っているが、大きく伸びて
寒冷紗が張られていた。

江頭先生は、盛んに写真を撮っておられた。

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伺った日は、曇り空で湿度が高かった。





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昨年は猛暑で病気が発生、ミョウガの子の収穫は少なかったと云う。

土の中まで暑くなったことで、地下茎に根茎腐敗病が発生して、
ミョウガタケ用の地下茎は、良いものが少なかったと云う。

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井之口さんは、先代がミョウガ栽培をしていたことから、
手伝っていたが、バブル経済が弾けたことから、売れなくなって
栽培はやめていたと云う。



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浅草葱善の田中庸浩社長は、井之口さんの技術力を買って、栽培を
依頼していて、採種した種を蒔いて、まもなく定植をするようだ。

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ハウス内に千住ネギの種が蒔かれて苗が伸びていた。


この後、井之口さんに西武新宿線の上井草まで送って頂いたので、
高田馬場で乗り換えて、早稲田に向かった。




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早稲田大学構内には、モニュメント「早稲田茗荷」があり、相馬御風の「みょうが畑時代」の一説が紹介されている。

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小野梓記念館の前にあるモニュメント。





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早稲田大学の前身東京専門学校が創立したのが、明治16年。
ミョウガ邸は明治26年からこの地にお住いで、
ミョウガが鬱蒼と茂っていた。

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地下茎が伸びた先の、細い裏道にもミョウガが生えていた。

江頭先生には神田川に向かって北斜面になっている
早稲田の地形も見てもらった。




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「江戸東京野菜 早稲田みょうが
私立早稲田中学校・高等学校」小さな札が挿してあった。
この早稲田ミョウガは、井之口さんが提供し定植したもので、
早稲田地区には、新宿区立の早稲田小学校に、鶴巻小学校などにも
早稲田ミョウガを提供している。


早稲田からバスで高田馬場へ戻り、山手線で日暮里へ
舎人ライナーで、本田ウリの内田さんのお宅に向かった。
posted by 大竹道茂 at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 早稲田ミョウガ
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