2025年01月04日

暮れの22日、巣鴨の納庚申祭に渡邊さんと一緒にお参りに出かけた。


12月22日は、品川蕪品評会が、品川神社で開催された。
午後から、巣鴨の納庚申祭に渡邊和嘉さんと一緒に
お参りする予定だったが、多彩な企画があって、歌手田代美代子さんの
ワンマンショーでは、マネージャー役の亀島由美子さんに前に座って
聞いてくださいと云われて、渡邊和嘉さんと一緒に聞いていたので、
巣鴨庚申塚に行くのが遅れてしまった。

品川から豊島区の庚申塚には、大塚駅で都電荒川線に乗り換え、
二つ目の庚申塚で下車した。

種屋街道にある、東京種苗の榎本留吉社長は、種屋街道沿いの
巣鴨庚申塚の役員をされていたと豊島区立郷土資料館の
学芸員横山恵美氏に伺った。

庚申塚については練馬の渡戸章さんに伺っていたので、興味を持って
同じような行事なのかを巣鴨庚申塚の世話人代表の吉村辰明氏に
電話で伺ったが、スケールが違うので、納庚申の日に当たる、
庚申(かのえさる)の22日に伺ったもの。



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旧中山道と旧王子道の交差点、北東の角に、
猿田彦大明神と庚申堂がある。

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この日は、境内に役員の方々が御神札、御神塩を配っていた。






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江戸名所図会に掲載されていて、庚申塚が描かれている。
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中山道庚申塚の説明はここから
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縁起の隣に、榎本留吉翁顕彰碑が建立されている。

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榎本留吉翁顕彰碑、には、
榎本留吉翁は、明治三十二年庚申塚に生をうけ。戦前、戦後を通じ
町会長として、庚申堂の奉祭につとめた、
戦災により焼失した堂宇を、昭和四十六年桧づくりに再建、
同四十九年、手水舎を設ける等、境内整備につくした。
これらは六十余年に亘る翁の郷土愛のたまものであり、
茲にその功績を讃え、顕彰するものである。
昭和六十年九月吉日 猿田彦大神奉賛会
」とある。

榎本留吉氏以後、榎本泰吉氏が奉賛会の会長を務めていたが
2024年2月に96歳で永眠された。
posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報
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