東京に来られるとメールがあったのは12月中旬だった。
昨年は6月の末に、早稲田ミョウガの取材で井之口喜實夫さんの畑と
内田宏之さんの千住ネギの畑を案内しているが、
今回は内田さんと、浅草葱善の田中庸浩社長の話も聞きたいと
云うので、ご希望の日程で1月8日に、舎人ライナー扇大橋駅で
待ち合わせ、田中社長には車で来ていただいて、
内田さんのお宅に向かった。
江頭先生は、前日7日は山口県の調査で、夜遅くに赤羽で前泊し、
9日は千葉に行くというから8日は、一日千住ネギに費やすと云う。

左から、葱善の後継者田中康晃さんも運転手で来てくれた。
内田さん、息子さんの内田達也さん、達也さんには初めてお会いした。
その右が、江頭教授、田中社長。
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康晃さんが自撮り
江頭先生から頂いたジーンバンクの資料。
それにしても全国だから大変なお仕事だ。

内田さんの話では、昨年の夏の猛暑で、生育が遅れていたようだ。
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伝統野菜は揃いが悪いのが特徴で、
交配種の葱に比べると生育状態にムラがある。
内田さんの千住ネギは、学校給食に使われていて
栄養士の収穫体験も行っている。

内田さんが、畝の端にあった千住ネギを、えんぴで掘り起こした。
畝は柔らかいと思っていたが、掘るのに苦労されていた。
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掘り起こした右の葱の葉4枚をはいでみると、左の状態で
太い根深ネギが姿を現した。
土寄せが遅れているが、10センチは土寄せしていれば、
根深としても10センチは伸びている。

硬く固まった土にも、根は十分に伸びていた。
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幕府は、江戸郊外の砂村に摂津から農民を呼び寄せて
入植させていますが、
その辺りは、江戸東京の農業の「品川のネギとカブ」に
掲載されていて、天正年間に江戸にネギは導入されていた。
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内田さんのお宅から、砂村のネギの採種地があったところに
康晃さんに向かってもらった。
足立から江東区まで距離があったが、江頭先生が時間はあると
云うので、東砂3丁目第二公園に向かった。
しかし、目的の便所の目隠しは、便所が工事中で無くなっていた。
江頭先生には、住宅地になってしまったが、海に近い平らな
地形を認識してもらった。
中川口が荒川放水路によって切断されたことも見てもらった。
この後、浅草葱善の事務所ビルに行って、田中社長への取材を行った。