「江戸東京野菜」治助芋栽培の現状と栽培依頼に行くと云うので、
中央会の車に同乗させてもらった。
その後、小河内振興財団の小菅直生氏から、治助イモ普及促進協議会の
農家に依頼してくれて、17名の方が栽培してくれると聞いていた。
それがJA西東京の組合員会議で森田美実代表理事専務が、
再度お願いしてくれたことで、7名が加わり、24名となった。
そもそもは、中央会が実施している高校生のレシピコンテストの
食材として江戸東京野菜を探していたが、馬込三寸ニンジンを栽培
している段階で、担当の川並三也さんが翌年の作物を探していて、
檜原の直売所にも行った。
檜原のおいねのつる芋が、奥多摩に伝わり治助芋となったと
云われている歴史から。両地域での増産を依頼していたもので、
2025年度は、おいねのつる芋と治助芋で、レシピコンテストは
実施が可能になった。。後は、猛暑等天候しだいだ。

小河内振興財団の小菅さんとは、奥多摩駅のホーム際にある
奥多摩町役場で待ち合わせをしていた。
町役場に入ったところに、奥多摩町のキャラクター
「わさぴー」が立っていた。
頭に町の花、ミツバツツジをつけて、ワサビ、清流、豊かな緑を
イメージしている。
上の画像をタップする
「こう見えて都内です 奥多摩」のポスターには笑った。(笑)
奥多摩町役場から、小河内の方へ進んでから、左に
山の方に上がっていった。
写真左から小菅さん、治助芋を栽培してくれる小峰望明さん、
中央会の川並さん。
上の画像をタップする。
治助芋を栽培する畑から、小峰家を望む、

小峰さんが、今回中央会の企画に賛同してくれたのは、東京の
高校生たちが、奥多摩の治助芋食べてメニューを考えてくれる
と云う、企画には我々も協力して、治助芋を味わうことによって
奥多摩を知ってもらえる、良い機会だとおっしゃっていた。
上の画像をタップする。
畑には獣害対策で、電気牧柵が張ってある畑から、
遠く鍾乳洞のある日原の山の方まで見える。

畑には白菜だそうだが、猿にいたずらされた野菜があった。
上の画像をタップする
ビニールトンネルも、猿がいたずらしたようで、白菜と
のらぼう菜を栽培していた。
小峰さんの話では、3月の末の暖かくなってから治助芋の
定植をしたいと話しておられた。
追録

奥多摩町役場に行く前に、御嶽駅近くの玉川で昼食をとった。
上の画像をタップする
鴨なんばんを注文した。
このところ奥多摩に来ると玉川に来ているが、
昨年の暮れに、三國清三シェフと一緒に来ている。