2025年08月23日

大先輩の香川正雄さんのお嬢さんにお会いして、思い出が広がった。


今年の2月に、高円寺の居酒屋「うおこう」が主催した、
高円寺演芸まつりで、田辺一乃師匠の講談、
わたしが江戸東京野菜の話をしたが、その後、会場を「うおこう」に
移して、懇親会を開催した。その席で、北畠禎子さんにお会いした。

「うおこう」で著書「江戸東京野菜の物語」を買って頂いたことから
話が弾み、お父さんが現役時代にお世話になった、東京都農林水産部の
香川正雄さん(故人)だったことが分かった。

北畠さんとは、何度がメールでのやり取りがあったが、
香川さんの自分史「さかさま川」を贈っていただいた。




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幼児期から、闘病生活までが122頁にまとめられていた。


「自分史」さかさま川は、1998年8月14日(金)立川病院3FlO9号室でウトウト昼寝を始めたとき、嫁に行った長女の禎子が不意に顔を出し、二人の孫の写真と原稿用紙一冊を持って来てくれた。原稿用紙に「お父さんんの自分史や闘病記」を書いたらどうかということだ。
約8ケ月入院生活を終え退院したのを機会に、ワープロの練習を兼ねて「我が闘病日誌」を書いた。

「腸の穿孔」のため入院した今回は、既に70日余経ち、時間を持て余していたので、暇つぶしのためと娘の提言に応え、「自分史」執筆に挑戦することにした。


この時代は、まだパソコンではなくワードプロセッサーの時代でした。
自分史は、自分でワープロを打ち、校正をして、平成10年(1998)10月
20日に書き上げて再入院、ご家族が冊子にしたのは亡くなってからで、
題名は「さかさま川」だと、奥様に伝えていたという。

表紙の文字と絵は、二番目のお姉様溝渕恒子様が、香川さんが
亡くなった6月に咲いている花として水芭蕉を描いてくれたとか。
一周忌(2000年)に、親戚、兄姉、家族に配布された。



題名の「さかさま川」については、
“寺と神社とさかさま川" として書いていて・・・

 同じ敷地にある法勲寺村立の小学校と中学校に約4年半程通学した。学校の近くに「法勲寺」という地名になるほど古く有名な寺があった。その寺の跡取りが同級生でおり、帰りが−緒だったせいで、古寺へたち寄っては遊んだ。
 その寺の前を川が「上下」「下上」と流れているので “さかさま川"
(標題名とした)と呼んでいる。川を上がりながら帰えると、丘陵が
二つ目になったところに神社があり、そこも同級生が居り立ち寄る始末で、随分道草をしたものだ。

★さかさま川は、2級河川大束川の支流、★神社は讃留霊王神社、






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写真は「宇多津古今をつなぐ協議会」より

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さかさま川は、文字通り池から流れ出た上流からの水が、一度下流にきて、また上流に向かって流れ、そして又下流へと流れることから不思議がられており、自分の人生にも似たようなことが感じられ、成人して感傷的になった都度、この川のことを想い浮かべたものだ。
   ★池は溜池の大窪池で、湖のように大きい。







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写真は「宇多津古今をつなぐ協議会」より

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ネットに、香川さんの出た香川大学の長谷川教授が、香川さんが
日頃見ていた讃岐富士のある風景を紹介している。いい所だ。


中央農業改良普及所城南分室時代
城南小松菜(伝統野菜)の命名について書いている。

今日、城南小松菜は等々力の大平農園に定着している。
当時、禎子さんも大平さんの名前を何度も聞いたそうだ。


香川さんのプロフィール 
昭和10年に香川県に生まれ、昭和33年に国立香川大学農学部を卒業。
卒業後は大学の紹介で 東京都国立市の個人農園で2年ほど働いて、昭和35年都庁職員(農業改良普及員)となる。その後は、八王子 三宅支庁、足立、城南分室、八丈支庁、昭和50年農業経営専門技術員として係長に昇格、昭和58年管理職として北多摩経済事務所の農務課長、
本庁農地課長を歴任。平成11年6月10日逝去享年64歳。



posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報
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