2025年08月30日

江戸東京野菜の内藤カボチャとにいがた在来作物の雉子カボチャは強大かも。


にいがた在来作物研究会の小田切文朗会長から、メールを頂いた。

小田切会長には、2023年にお招きいただき、江戸東京野菜の普及活動に
ついて、報告をさせていただいたことがあった。

その時に、小田切会長に新潟市郊外を案内して頂いた、



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丁度その時に東京産食材フェアが古町で行われていて、江戸東京野菜が
展示販売されていた。
中でも内藤カボチャを初めて見た、小田切会長は・・・

内藤カボチャが新潟在来の雉子カボチャ(別名 関屋カボチャ)と
外観と果肉の色が非常に似ていることに驚きました。
とあり、

10月18日に当研究会を開催しますが、内藤カボチャと新潟在来の
雉子カボチャの関係を明らかにする必要が出ました。何か共通性が
あるかと思い、教示いただきたくメールを差し上げるしだいです。

とあった。

小田切会長には「雉子カボチャが江戸東京野菜の内藤カボチャとよく似ていて、兄弟ではないか」と云うこことですが、「そうかもしれません。」とお答えした。


家光の時代、参勤交代の制度が確立する1630年代に江戸で不足する
野菜を大名たちは国許から野菜のタネを持って来て
下屋敷などで栽培をしていました。

内藤カボチャは、家康を守って江戸に入府した内藤清成が、家康から
拝領した広大な屋敷地で栽培していたカボチャで、それがどこから
伝わったかの記録はありません。
江戸に入った豊後・豊前のカボチャの種を入手したことは、
十分に考えられます。







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小田切会長に送って頂いた雉子カボチャの資料
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カボチャは大航海時代の1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、
その地にあったジャガイモ等と共にヨーロッパに持ち帰られた
野菜の一つです。







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「日本の野菜 青葉高著作選T」には、
「天文10年ポルトガル船が豊後(大分県)に漂着し、同17年
(1548)藩主大友宗麟の許可を得て貿易を始めたが、この際カボチャを
献じたのがわが国のカボチャの最初としている。
そしてこれはシャム(タイ)の東のカンボチャ国で産したものであった
のでカボチャと呼んだ。」とある。

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大友氏の領地豊前の三毛門地域では、保存栽培が行われている。
これが宗麟カボチャだと云って見せてもらったが、豊前の
三毛門カボチャを豊後に里帰りさせて、宗麟カボチャと
命名して栽培しているという。








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新発見のアメリカ大陸ではその後、アメリカ東海岸で
栽培されているようです。
友人の石薫さんが、ニューヨークで行われたハロウィンの
写真を送ってくれましたが、その中に日本に伝わった
カボチャが数種類写っています。


追伸
奇しくも9月17日に「おおいた在来作物研究会」を立ち上げた
国立高等専門学校機構大分工業高等専門学校森田昌孝准教授が
お見えになるからお話しようと思っている。
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