小田切会長には、2023年にお招きいただき、江戸東京野菜の普及活動に
ついて、報告をさせていただいたことがあった。
その時に、小田切会長に新潟市郊外を案内して頂いた、
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丁度その時に東京産食材フェアが古町で行われていて、江戸東京野菜が
展示販売されていた。
中でも内藤カボチャを初めて見た、小田切会長は・・・
内藤カボチャが新潟在来の雉子カボチャ(別名 関屋カボチャ)と
外観と果肉の色が非常に似ていることに驚きました。とあり、
10月18日に当研究会を開催しますが、内藤カボチャと新潟在来の
雉子カボチャの関係を明らかにする必要が出ました。何か共通性が
あるかと思い、教示いただきたくメールを差し上げるしだいです。
とあった。
小田切会長には「雉子カボチャが江戸東京野菜の内藤カボチャとよく似ていて、兄弟ではないか」と云うこことですが、「そうかもしれません。」とお答えした。
野菜を大名たちは国許から野菜のタネを持って来て
下屋敷などで栽培をしていました。
内藤カボチャは、家康を守って江戸に入府した内藤清成が、家康から
拝領した広大な屋敷地で栽培していたカボチャで、それがどこから
伝わったかの記録はありません。
江戸に入った豊後・豊前のカボチャの種を入手したことは、
十分に考えられます。
小田切会長に送って頂いた雉子カボチャの資料
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カボチャは大航海時代の1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、
その地にあったジャガイモ等と共にヨーロッパに持ち帰られた
野菜の一つです。
「日本の野菜 青葉高著作選T」には、
「天文10年ポルトガル船が豊後(大分県)に漂着し、同17年
(1548)藩主大友宗麟の許可を得て貿易を始めたが、この際カボチャを
献じたのがわが国のカボチャの最初としている。
そしてこれはシャム(タイ)の東のカンボチャ国で産したものであった
のでカボチャと呼んだ。」とある。
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大友氏の領地豊前の三毛門地域では、保存栽培が行われている。
これが宗麟カボチャだと云って見せてもらったが、豊前の
三毛門カボチャを豊後に里帰りさせて、宗麟カボチャと
命名して栽培しているという。
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新発見のアメリカ大陸ではその後、アメリカ東海岸で
栽培されているようです。
友人の石薫さんが、ニューヨークで行われたハロウィンの
写真を送ってくれましたが、その中に日本に伝わった
カボチャが数種類写っています。
追伸
奇しくも9月17日に「おおいた在来作物研究会」を立ち上げた
国立高等専門学校機構大分工業高等専門学校森田昌孝准教授が
お見えになるからお話しようと思っている。






