大分県で、在来作物研究会を発足された独立行政法人国立高等専門学校
機構大分工業高等専門学校の准教授・森田昌孝先生が、大竹さんと
コンタクトを取りたいとのご依頼がございました。とあり、
後日、森田准教授からメールを頂いた。
森田先生は「農学系の研究をしており、特に大分の在来作物に関する
栽培技術の開発などを行っております。
その関係もあり、本年3月に「おおいた在来作物研究会」を立ち上げ、
活動を進めております。」
東京に来る機会があると云うので、先日お会いした。
森田准教授はお土産の大分名産「カボス」を持って。
お隣は、ツタエルヒト。×フードマエストロの齊藤美絵さん。
この日は、大泉学園でコンシェルジュ協会が主催して、
10周年特別企画の「江戸東京野菜で繋がる農園体験とランチ交流会」
が行われ、内藤カボチャの生育状況を見てきたところだった。
お二人は横浜に行ってきたと、伺った。
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お二人には、東京が取り組んできた事例をお話ししたが、
面白がっていただいた。
2010年に「あしたのまち・くらしづくり全国フォーラム」の第二分科会
「大分県生活学校運動推進協議会の小野ひさえ会長の元で、
「広げよう地産地消」のテーマでお話をした。
2011年には「広げよう地産地消の輪」の基調講演で
九州伝統野菜フォーラムに招かれたことがあった。
5年生に日本に伝来したカボチャの話をしたことがあり、
熊本のひご野菜には、熊本黒皮カボチャがあるとも。
説明する奈良絵美さんをタップする
2014年にはクサマヒサコの野菜ノートに宗麟カボチャが掲載され
2016年に大分には行っていて、宗麟カボチャに会ってきた。
先日、にいがた在来作物研究会の小田切会長から、内藤カボチャの
歴史について質問があったことをお伝えした。
内藤カボチャは、内藤家の屋敷地で栽培されてきたが、
それ以前の事は伝わっていない。
しかし、大分に伝わったカボチャが、参勤交代の制度の中で、江戸に
伝わり内藤カボチャになったことは、考えられると
小田切会長にお伝えした。
新潟の雉子カボチャは、福島県から導入したもので、大正時代に
新津市満願寺(現新潟市秋葉区)の篤農家が会津雉子(会津早生)を
導入したそうで、
会津早生は九州の三毛門カボチャの血を引くもので、
三毛門カボチャは九州から北上して伝播し、東北南部に伝播して、
会津地方では、会津早生として定着したと記録がある。
内藤カボチャの葉はここから
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お二人に、友人の石薫さんが送ってくれた、ニューヨークの
ハロウィンの写真をお見せした。
内藤カボチャに似ているカボチャが写っているからと、
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コロンブスが新大陸を発見した当時のカボチャが
アメリカの東海岸では栽培しているのかと、思ったりもした。
すると、齊藤さんが、スマホの中の写真を見せてくれた。
ハワイマウイ島のハロウィンイベントの写真だという。
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この写真もハワイマウイ島の写真だが、ニューヨークの写真に
比べ、厳密に云うと内藤カボチャに似たものは無い。
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調理したパンプキン
パンプキンパイのメニューがかいてある。
追録
会への申し込みは上の画像をタップする。
追伸
森田先生から、おおいた在来作物研究会で、東京の復活普及の
事例をお話し頂きたいと依頼された。






