7月に出前授業の要請があった。
1時間目からの授業だったので、早く家を出た。
最寄りのJR西日暮里駅には、8時に着いた。
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ホーム西側の諏訪台に沿って崖下を上っていくと、
京浜東北線のホームが見下ろせた。
荒川区立第一日暮里小学校に
諏訪台から通ってた来る生徒は校門から階段を下りていく。
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校門脇には、創立百周年記念碑があり、同校の卒業生高村光太郎直筆の
「正直親切」の文字。
「フクロウ」は石彫家飯田雅光氏の作で校歌にもある
”諏訪の森かげ みどりの風に”ふさわしいと、同校のシンボルに、
詳細には説明板が建っていた。
諏訪台には諏方神社がある。
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石の鳥居には石の額が掛かり、総鎮守の上に「谷中」と「新堀」
とあり、何でもこの地が日暮里になるのは明治になってからで、
かつては谷中の新開地だったことから谷中新堀と云われていて、
江戸時代には、庶民の行楽地だったという。
拝殿の額には「諏方神社」とある。
境内の大イチョウの根本には、季節柄彼岸花が咲いていた。
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諏訪台に鎮座した境内の崖際に、平成9年に江戸東京の農業
「谷中ショウガ」の農業説明板を設置してある。
農業説明板が建立してあることから、新年の七福神めぐりや、
台東区の勉強会で案内をしている。
第一日暮里小学校の沿革によると、明治13年(1880)5月、谷中天王寺門前
の瑞輪寺境内にあった寺子屋が、現諏訪台ひろば館
当たりに分離移転した。
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その後、日暮里村、谷中本村、谷中村からの要請で、明治18年に
日暮(ひぐらし)小学校が認可され、諏訪台のこの地に設置され、
当時児童数は36名、教員2名、だったという。
大正2年日暮里尋常高等小学校と改称、
昭和11年荒川区立第一日暮里小学校となり、
地域の人たちは、一日小(いちにちしょう)と呼んでいる。
出前授業は、ここからリンクします。






