瀧野川八幡神社に瀧野川カブの生育の様子を見に行った帰りに、
板橋の由来になった「石神井川」に架かる橋に行ってきました。
この板橋は、旧中山道に架かっていて、豊島区の地蔵通りから、
種屋街道となり、京都に向かって伸びていて、首都高を渡って、
旧中山道は平尾追分で、板橋宿につながっている。
板橋宿の平尾宿から、仲宿に向かうが、板橋宿、仲宿の文字。
上の画像をタップする
板橋宿には10年前にも行っている。
板橋宿は中山道の第一の宿場で、江戸末期の天保十四年(1843)には、
人口2448人で、旅籠屋、料理屋、駕籠屋等の店が軒を並べていた。
宿場が整備された慶長七年(1602)から400年目の2002年に
記念碑が建立された。
旧中山道板橋宿、板橋が見える。
上の画像をタップする、
現在は鉄橋だが、両側の歩道には板が描かれていた。
板橋は木造の板で橋が作られていたが、鎌倉から室町時代に書かれた
古文書にあるという。江戸時代の板橋は、木製の太鼓橋だったそうで、
寛政十年(1798)と天保年間の二度修復が行なわれ、近代では大正九年に
かけ替えられたが自動車の普及で昭和七年にコンクリート橋になり、
現在の橋は昭和47年に石神井川の改修工事で架けられたものだという。
上流から流れてくる石神井川
上の画像をタップする
橋の左手、対岸が上宿になる。
この橋から王子向かって流れる途中に、加賀の地がありますが、
地形が変化して渓谷となり、石神井川が滝のような音をたて流れていた
と云うことで、滝の川の名がついたと言われている。






