栃木県の「大田原とうがらしの郷づくり推進協議会 会長 吉岡博美氏」が講演をされたが、同氏のおじいさんが、小金井出身というご縁で、NPO法人ミュゼダグリでは「スタディ&カフェ」の講師としてお招きした。

江戸の頃、内藤トウガラシ(八っ房)は、内藤新宿から大久保に向かって、絨毯を敷きつめたようだったと伝えられているが、このような光景だったかもしれない。八っ房のトウガラシを品種改良した 栃木三鷹(サンタカ)の景観(大田原)。
初代、吉岡源四郎が小金井市で栽培していた八っ房のトウガラシを、栃木の大田原に持ち込み、起業して「吉岡食品工業」を創業、生産量日本一の唐辛子産地を作り上げた。その三代目が吉岡博美氏。
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と吉岡氏は北原白秋の短歌を紹介した。
内藤新宿の内藤トウガラシが年とともに西に移り、明治の中期には武蔵野の各地で栽培されるようになっていた。
トウガラシの話は、おもしろかった。
韓国のキムチは、加藤清正が出兵した折、持ち込んだトウガラシから生まれたという話。韓国のトウガラシ関係者、会う人ごとに異口同音に語ったというが、400年以上の歴史になる。
トウガラシの、最も辛いのが、「栃木三鷹(さんたか)」同社が1955年に品種改良したもの。三鷹は「三河の鷹の爪」の意とか。他に「栃木信鷹(のぶたか)」など3種類あり、辛みが薄いものは7種類。キムチにするには、辛すぎてもいけないという。日本に住んでいる、韓国の人や中国の人が野菜の直売所に買いに来て、もっと辛いのはないかと、生産者に聞いているところに出会わせたが、辛いのは「栃木三鷹」が一番だという。
品種によって乾燥するもの、生食するもの。さらに、「葉トウガラシ」の佃煮の作り方など楽しい話は時間を忘れさせてくれた。
「& カフェ」に続く