江戸時代、徳川綱吉が練馬で、尾張から大根の種を取り寄せ百姓に栽培させたら立派な大根が採れた。関東ローム層の深い黒土に大根はよく育ち、その後、練馬大根として、全国に伝わった。
その大根、北区の滝野川から板橋、練馬と、盛んに栽培され、滝野川ではタネを取ることを生業とする者があらわれ、中山道で三軒の農家がタネを売り始めたことから、三軒家の字名が残っている。その後、時代とともに、タネ屋が集まり、誰言うとなく「タネ屋街道」と呼ばれるようになった。

この説明版、平成9年に、建立されたが、真性寺の理解のもと、駅から来ると目に付きやすい場所に建てさせていただいた。

とげぬき地蔵の高岩寺だが、洗い観音にはいつも行列ができる。
自分の体の悪いところを観音様の体に水をかけながら洗うことで、病が治ると言い伝えられている。

タネ屋街道も大きく変わり、タネ屋が見つからないまま、踏み切り。
早稲田と三ノ輪橋の間を走る都電荒川線の庚申塚駅。かつては、都内を網の目のように走っていた都電もバス輸送に取って代わられ、都内ではこの線だけが残っている。

東京種苗株式会社は昔ながらの店を残してある。何年か前、豊島区立郷土資料館の学芸員がたまたま通りかかった時、奥の屋敷の蔵を取り壊すところ、貴重な資料もゴミとして処分されそうになっていたが、その貴重な資料は資料館が譲り受けたと云うことがあった。
豊島区立郷土資料館では、2008年10月・企画展「一粒入魂!」〜日本の農業をささえた種子屋〜 を開催している。
このときの図録200円は安い(03-3980-2351)。
先に紹介した、真性寺に置いてあるスタンプのモデルになったお店だ。
「種子問屋 榎本留吉商店」としての長い歴史があるが、この建物の隣に東京種苗株式会社の事務所がある。

さらに何件か先には、江戸東京野菜の種を卸す日本農林社がある。
「滝野川ごぼう」「砂村一本ネギ」「東京長かぶ」、伝統小松菜の「後関晩生」など、我われの伝統野菜の復活にも協力してもらっている。

その先には、「滝野川種苗」。この店も古い種屋さんだが、タネの他、園芸植物を販売している。
この先、JR板橋駅だ。

明治中期以降になるとタネもカタログ販売が盛んになり、板橋駅からあらゆるタネが全国へと発送されていった。駅前には近藤勇の墓もある。
追録
そもそも、今日、巣鴨に来たのは。大学時代の気の置けない友人たちが、「江戸東京野菜」の出版祝いの席をもうけてくれたからで、三菱農機に勤めていた清水紀彦氏が巣鴨駅に近い三菱の施設〔三菱養和会〕をセットしてくれたもの。

東京農大農業拓殖学科41年卒の異色の人材集団。
私(左下)の隣が、手島孝次郎氏、スエーデンの会社で日本にスエーデン鋼を売っていた。その隣は林博氏、千葉病院の副理事長、学生時代は全学応援団の副団長。その隣が今回の呼びかけ人をしてくれた石川金太郎氏、工芸家(糸絵)で近く第四回の個展を開く予定。さらに私の前が、間中尚武氏、元全日空のジャンボのパイロットで米国の共和党に人脈が太い。その隣が、前田明男氏、ネパールの農業発展に尽くした功績は大きい。隣が片山茂夫氏は高層ビル向けタイルにノウハウを持つ会社に勤めていた。そして清水氏だ。
皆さん有難うございました。
尚 石川さんの個展は5/1から5/7まで、エスティック情報ビル2階(新宿郵便局隣)で開催される
固定種をキーワードに検索していたら、こちらのブログに辿り着きました。
東京で生まれ育ち、野菜作りに興味を持ち、固定種・在来種に関心を抱くようになり、現在はなるべく自家採種を心掛け、次世代へタネをつなげることを楽しんでおります。
せっかく東京で生まれ育ったのに東京野菜のことを知らな過ぎていました。
まずは巣鴨へ行ってタネ屋街道を散策したいと思います。
これから、こちらのブログで勉強させて頂きたいと思いますのでよろしくお願いします。