2010年05月06日

野菜の高騰と、「キャベツの碑」建立の物語。


練馬の石神井公園近くに、甘藍(キャベツ)の碑があるが、野菜が高騰すると、この碑を思い出す。

昭和48年、高騰する消費者物価を抑制するため、東京都(美濃部知事)は群馬県嬬恋村との間で初夏産キャベツの契約栽培を始めたが、秋冬産から、流通コストの安い、新鮮で安全な東京産野菜を都民に安定的に供給し、都民の消費生活の安定をはかる目的で契約栽培が始まった。

これは、上限価格を設けて、それ以上は価格を上げない代わりに、暴落時には再生産に必要な経費を農家に補償するという国の制度に

上積みする形で、東京都は価格差補償方式の野菜価格安定供給事業「東京ふるさと野菜供給事業」を生産者団体と契約してきた。





キャベツの碑 (2).jpg


写真をクリックると見える
碑の上面には、練馬の典型的な農家のたたずまいと家族総出で収穫作業をする様子が刻まれているが、写真から機械的に黒御影石を刻む技術が開発されていたことから、キャベツを収穫する写真3枚を選び、合成写真を碑に刻み込んだ。

これまでの石碑と云うと文字だけだったが、斬新な記念碑にしようとの委員達の意向で、記念碑等を調べていたら、浦安市漁業記念公園にベカ舟が刻まれた石碑がある事がわかり、実行委員会の委員達がバスで視察し、写真を刻むことになったもの。
綺麗に見えるのは左右とも、45度の角度からだと反射しない。

この碑の象徴として、アルミ合金のキャベツのオブジェが中央にあるが、このキャベツ、練馬区平和台の渡戸章氏が栽培した大きな「錦秋」で、碑の裏にはアルミ合金の板に「歯切れがよく、甘みがあってトンカツの付け合せに欠かせないことから、都民に愛された品種です。」とある。


碑文には「・・・ここに、東京ふるさと野菜供給事業二十五周年を記念して、練馬区の特産物「キャベツ」を後世に伝え、生産者の労を称えるため、甘藍の碑を建立するものである。 平成十年十月吉日 キャベツの碑建立実行委員会」とした。



キャベツ123.jpg

その後、契約は東京全体に広がり、初夏産、秋冬産の年二回、農家は安心して生産に励んだ事から、生産量も増加し、東京都中央卸売市場では、東京産が第一位を占める時期もあった。

これにより東京産のキャベツが出荷されると 高騰する価格はたちどころに沈静化した。





キャベツの碑 (3).jpg

この制度よって、25年の間、消費者物価は抑制されてきた。

甘藍の碑建立にあたっては、練馬地区には「練馬大根の碑」がある事から、石神井地区と大泉地区が候補地域に上がったが、大泉地区には適当な場所がないと云うことから、石神井地区が検討された。

会議を行っていた石神井農協の二階会議室から、通りの向こう側に見える、旧石神井農協設立の地の一角が空いていることが話題に上り、石神井農協発祥の記念すべき土地に建立することになったもの。

記念碑の裏には練馬区の練馬地区、石神井地区、大泉地区で「キャベツ生産に励んだ人達」として 279名の生産者と、事業に携わった関係者の名前が刻まれた。

当時、甘藍の碑建立実行委員会(加藤源蔵会長)は、東京都農協中央会、練馬農協、石神井農協、大泉農協で結成されたことから事務局長を拝命していた。

追伸

平成10年(1998)10月22日、
ラジオ短波(JAアワー)で放送した原稿を紹介する。


追録

キreerチャ.JPG

JA東京あおば石神井支店前の交差点の角地にある事から
多くの方々が立ち寄って、記念写真を撮っていく。

大竹雅・とも枝夫妻(写真左)に見に来てもらった。
NPO法人ミュゼダグリのメンバー(写真右)も案内している。



posted by 大竹道茂 at 06:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京の農業と農業者達
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