阿部さんは、筑波大三年の時に江戸東京野菜に興味があると言って訪ねてくれた。
日頃、講演などで使っているパワーポイントで説明したが、生産者を紹介してほしいなど、「東京における農家と住民の連携による地域的食文化の再編」を卒論のテーマに選び、教育実習では母校の都立園芸高校で江戸東京野菜について生徒たちに話しもしている。
そんなことから、江戸東京・伝統野菜研究会のネットワークの一人として、その後も情報交換を重ねてきた。
その後、大学院に進まれ研究者の道を選んだが、このほど「近代における野菜種子屋の展開 〜東京府北豊島郡榎本留吉商店を中心に〜」として学会誌「農業史研究」に投稿した論文が、44号に掲載された。
これまで研究する者が少なかった、種子屋の歴史は、種苗業界外からも注目されている。
明治中期から昭和初期まで、東京都豊島区巣鴨から北区滝野川にかけての中山道は、通称「種子屋街道」と呼ばれ、全国の野菜種子を扱う大集散地だった。
その中の一軒、幕末から巣鴨庚申塚で種子問屋を営む「榎本留吉商店」(現、鞄結梹苗)に伝わる【古文書】分析を進めてきた成果が、この論文だ。

明治から昭和初期にかけて、日本では固定種による野菜栽培が盛んに行われていた。
それを支えていたのは各地の「種子屋」だった。
この論文からは、当時の種子屋の多様な仕事ぶりを垣間見ることができる。
F1品種が広く普及し、江戸時代から続く伝統的な固定種が姿を消しつつある現代。
新たな品種を開発することも大切なことだが、一方で、江戸から伝わる貴重な遺伝子源(固定種)を守り、次世代に受け継ぐことも重要なことだ。
そのためにも、阿部さんのような若い人たちが、固定種時代の野菜種子の育種・生産・流通の実態解明に取り組むことは心強い限りで、今後も研究を進め、更なる成果を期待したい。