2010年06月13日

東京の農業を守ろうと頑張った皆さんと再会し「江戸東京野菜」の話。

昔一緒に東京の農業を守ろうと頑張った農家の皆さんが集まるからと、世田谷の杉田武信さんに呼ばれて、11日に中野サンプラザで、お話をさせてもらった。

杉田さんとは、初めて親しく話をさせてもらったが、杉田さんは昔の私の仕事ぶりを覚えていてくれて、恥ずかしい限りだった。

中野サンぷら.jpg

伝統野菜は皆さんが昔つくったことのある野菜だから、皆さんご存じだが、江戸東京野菜が、今、話題になっていることは、知らない人が多かった。

小学校での復活や、各地で起こっているまち興し、そして、一流シェフが好んで使ってくれていることに驚いたようだ。

「都市に農地はいらない」と云われた頃から時代は変わったことを認識してくれた。


休憩時間に、久しぶりと云って声を掛けてくれたのが、彦田政克さんだった。20年ぶりの再会だ。懐かしい。

彦の.jpg

彦田さんは、当時、江戸川区の農業後継者の先頭に立って、農地の宅地並課税撤廃運動では声をからして頑張ってくれていた。

当時、つまみ菜の専業農家で、農文協からJA東京中央会が発行した「江戸東京ゆかりの野菜と花」(絶版)に写真を使わしてもらったので、若いころの彦田さんが写っている。


つまみ菜は、雪白体菜(せつぱくたいさい)を蒔いて、葉が2〜3枚の時に包丁で刈り取って行く。
したがって鮮度が勝負の野菜。

そもそも「つまみ菜」は、江戸時代、深川の百姓、細川市右衛門が、蕎麦屋から何か青味がないかと頼まれた。
思いついて、油菜のタネを水に浸してから畑に厚蒔きし、葉が数枚出たところで、摘まんで収穫し、持っていったのが始まりとか。

一名「切菜」ともいい、江戸川の特産になって行った。

彦田さんに伺うと、農地は少なくなってしまったし、「つまみ菜」はつくっていないと云う。

みそ汁の具やお浸しにしたら格別の味だったが。

杉田さんには、いい機会を作ってもらった。

もう一人懐かしい人にあった。それは明日・・・。
posted by 大竹道茂 at 06:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 食育・食農・講演会等
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