杉田さんとは、初めて親しく話をさせてもらったが、杉田さんは昔の私の仕事ぶりを覚えていてくれて、恥ずかしい限りだった。

伝統野菜は皆さんが昔つくったことのある野菜だから、皆さんご存じだが、江戸東京野菜が、今、話題になっていることは、知らない人が多かった。
小学校での復活や、各地で起こっているまち興し、そして、一流シェフが好んで使ってくれていることに驚いたようだ。
「都市に農地はいらない」と云われた頃から時代は変わったことを認識してくれた。
休憩時間に、久しぶりと云って声を掛けてくれたのが、彦田政克さんだった。20年ぶりの再会だ。懐かしい。

彦田さんは、当時、江戸川区の農業後継者の先頭に立って、農地の宅地並課税撤廃運動では声をからして頑張ってくれていた。
当時、つまみ菜の専業農家で、農文協からJA東京中央会が発行した「江戸東京ゆかりの野菜と花」(絶版)に写真を使わしてもらったので、若いころの彦田さんが写っている。
つまみ菜は、雪白体菜(せつぱくたいさい)を蒔いて、葉が2〜3枚の時に包丁で刈り取って行く。
したがって鮮度が勝負の野菜。
そもそも「つまみ菜」は、江戸時代、深川の百姓、細川市右衛門が、蕎麦屋から何か青味がないかと頼まれた。
思いついて、油菜のタネを水に浸してから畑に厚蒔きし、葉が数枚出たところで、摘まんで収穫し、持っていったのが始まりとか。
一名「切菜」ともいい、江戸川の特産になって行った。
彦田さんに伺うと、農地は少なくなってしまったし、「つまみ菜」はつくっていないと云う。
みそ汁の具やお浸しにしたら格別の味だったが。
杉田さんには、いい機会を作ってもらった。
もう一人懐かしい人にあった。それは明日・・・。