2010年06月14日

我が国、ビール産業黎明期のビール麦・金子ゴールデンを刈り取る。


昨日の続き。
中野サンプラザでお会いしたもう一人が、練馬の奥山久男さん。

平成18年10月に「金子ゴールデン記念碑建立実行委員会」が、練馬区豊玉の氷川神社に記念碑を建立した。

金子ゴールデン畑.jpg
収穫間際の金子ゴールデンの畑(平成18年)


金子ゴールデン」とは、北豊島郡中新井村・現在の練馬区豊玉の農家・金子丑五郎が明治33年(1900)に、六条大麦の「四国」と、輸入品種の「ゴールデンメロン」の自然交雑によって生じた雑種の中から育成したビール麦のこと。


この金子ゴールデン記念碑建立実行委員会事務局長を担当していたのが、奥山さんだった。

 奥山さんとは同い年で、彼は昭和40年4月から日本大学の全学応援団団長をされていた輝かしい経歴。

私は実行委員会の仲間に入れていただき、碑文づくりを担当したが、お互いに実行委員会の長老達に振り回されていたことが、今となっては笑い話で、二人にとっては懐かしい思い出話になっている。

そう云えば今月初め、朝日新聞東京版(6/4)に、「練馬発祥ビール麦復活」が掲載され、サブタイトルに「JA東京あおば取り組みに区助成」「来春の製品化へ収穫作業」とあった。

この品種、作りやすいことから、栽培は関東周辺にまで広がったが、大正から昭和期に入ると、金子ゴールデンが親となった優良品種などが作出され、また戦後の経済成長期には、安価な輸入ビール麦が幅を利かせ、ビール麦の範ちゅうから姿を消してしまった。

丑五郎翁.jpg
2004年に造られたビール。

JA東京あおばが中心となって、2004年に、金子翁の功績を讃えて、記念碑を豊玉・氷川神社に建立したが、その時、農業生物資源研究所に保存されていた「金子ゴールデン」のタネを譲り受け、試験的に栽培、その麦を明治の醸造法でビール(330ml、6,000本)にして関係者で飲んだ経過がある。

このようなことから、地元の消費者からは、「飲みたい!」との、声が高まり、練馬観光協会などの支援もあって、一昨年から募集した消費者の参加を得て、試験栽培がおこなわれてきたが、今年度から区が250万円を助成し、区内の農家6軒、計1ヘクタールで栽培が実現、このほど収穫されたもの。

今後、麦は酒造会社に渡され、来春には、330mlの小瓶約4万本分になる予定だ。


posted by 大竹道茂 at 05:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸東京野菜と生産者達
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/38919998

この記事へのトラックバック