2010年07月20日
伝統の「團十郎茶」復活。東京都農林総合研究センター江戸川分場、3年越しの研究が実る。
最近は全国各地で朝顔市が開かれているが、江戸では文化年間(1806)に御徒町あたりの下級武士や植木職人が朝顔の苗を作って、細々と売り出したのが初めで、その後、御徒町の発展で入谷に移り、江戸東京の風物詩となったと云われている。
東京都農林総合研究センター江戸川分場の橋本智明さんが、3年越しの研究を実らせ、伝統の色「團十郎茶」を蘇えらせ、行燈づくりに仕立てられた朝顔は、その名も「團十郎」。
江戸の昔から朝顔の愛好家は多く、変わり咲き朝顔がつくり出されるなど江戸の園芸文化は花開いている。
「團十郎茶」は、歌舞伎役者の初代市川團十郎が好んで着た色だが、歌舞伎十八番「暫」(しばらく)の素襖で使ったのが、最初と言われている。
「入谷朝顔まつり」に出荷されている朝顔の7割は江戸川区鹿骨や東小松川の園芸農家が栽培している。
園芸農家では4月中旬にタネを蒔き、一ヶ月後には、6号鉢に4本の苗を植え、「あんどん」を差し込み、温度や水やり、施肥に等の管理を行ってきた。
見栄え良く仕立てるために、一鉢ずつ「ツル巻き」や「花摘み」等、丹精込めてきたことから、最高の状態で出荷された。
特に、江戸川分場の指導を受けて栽培・仕立てられた「團十郎」は「朝顔まつり」で販売されたが、伝統好みの江戸っ子の人気を呼んだ。
江戸東京野菜に続いて、朝顔も「江戸伝統の團十郎」が復活、愛好家に喜ばれている。
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