
今年財団では、「砂村三寸ニンジン」の復活が計画されていて、砂町小学校で取り組むことも決まっている。
タネは(独法)農業生物資源研究所において2年越しで、配布用の採種を行ってくれていて、9月には播種できる予定だ。
また、江東区教育委員会では、地産地消にも熱心で、8月17日には、亀戸文化センターで、350名から関係者を集めて、平成22 年度学校給食夏季研修会が開かれ、江戸東京野菜の講演を依頼されているが、食育として地産地消を積極的に進める、行政や栄養士の先生方の意識、意欲には敬意を表している。
江戸の町づくりで、家康は行徳から塩を運ぶために、小名木川を開削(1590)させ・新田開発としては砂村新左衛門らによって、万治年間(1658-1662)に砂村が干拓され、江戸への野菜供給基地としてその役割を担った歴史も輝いている。

砂村では日本橋の魚河岸から出る魚のアラを舟で持ち込み、落ち葉などに混ぜてその発酵熱で促成栽培をした。
江東区北砂の志演尊空神社(地下鉄東西線東陽町駅より都バス境川下車1分)には、「野菜の促成栽培発祥の地・江東」の農業説明板が建てられている。
その後、我が国の発展に工業の果たした役割は大きく。
明治末期から大正期には、都市周辺の農地は開発され工業地帯へと変貌していった。
特に江戸からの農業の歴史がある江東区は大正期から工業の発展を支えていた。
亀戸大根も大正期に亀戸を離れ葛飾方面に産地は移り、亀戸ではおかめ大根とかお多福大根と呼ばれていたが、亀戸を離れてから亀戸ダイコンの名で呼ばれるようになった。

平成10年から地元小学校で始まった亀戸ダイコンの栽培、収穫した大根は香取神社で収穫祭。
そんな、江東区の皆さんとのお付き合いは、平成9年に亀戸の香取神社に、亀戸大根の「江戸東京の農業説明板」を建てたことから始まった。
説明板を見た商店街の「亀の会」によって、亀戸大根の栽培復活が始まり、ブログでも紹介したが、すでに10年以上の歴史を積み重ねて、毎年3月第一日曜日に「福分け祭り」を執り行い地域に定着している。

田んぼの作業の合間には、リーダーたちによって、味噌汁や江戸野菜などの心づくしが振舞われた。隣の畑では伝統小松菜亀戸大根も栽培されている。
また、江東区の田んぼの学校(田路知恵先生)では、歴史ある横十間川につくられた田んぼで、区民の親子を集めて、田植えから収穫までの体験をさせている。
泥んこ、昆虫、水たまりなど、自然に触れる機会が少ない子どもたちに、その体験をさせたいと、募集と同時にすぐいっぱいになるほど盛況だという。

行政でも積極支援をしているのが、江東区環境情報館「エコックル江東」で、エコリーダーを育成し、伝統野菜の江戸東京野菜を使って、連続授業行われ、親子で江戸東京野菜の栽培に取り組んでいる。
今年は、栽培したものを区民に販売する体験も積んでいる。
かつて東京都の城東地区の圃場ではネギの栽培がおこなわれていたが、現在も市販されている「砂村一本ネギ(固定種)」を栽培したいから指導をという小学校からの依頼の話もある。