その産地が三富で、江戸から40キロ圏では保存のきくサツマイモの栽培が普及した。
このイモ、新河岸川から隅田川を舟によって神田市場に運ばれ、江戸市民の食生活に貢献し、農家経済は安定していった。
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元禄7年(1694)川越藩主であった柳沢吉保によって開拓された三富地域は、現在、埼玉県西部の、川越市、所沢市、狭山市、ふじみ野市、三芳町の4市1町にまたがる地域だ。
昨年の、10月末に、「良い食材を守り伝える会」がバスツアーの「大人の食育講座・江戸・東京伝統野菜の産地を見て学ぶ」を実施し、城北コースとして新座・三富に足をのばした。
ガイドには元埼玉新聞の記者・中西博之氏(農業ジャーナリスト)があたったが、同氏は三富の農業を守るため、三富の現状を長期連載で訴えてきた。
三富新田は柳沢吉保の新田開発を今に残す貴重な農業形態を目のあたりにできるところ。
北東から南東に地割りされ、江戸時代に開拓された屋敷地と耕地と雑木林「ヤマ」からなる短冊状の地割り(間口40間・約72m、奥行375間・約675m)が現在も多く残されている。
しかし近年、相続に伴う納税負担等が大きくなり、その支払いにあてるために雑木林の売却や物納が行われ、美しい地割が崩れ始めるとともに、農業を続けるための基盤も脅かされている。
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この地で、循環型農業「三富江戸農法の会」の代表をされている農家、横山進氏が、〈「農」と里山シンポジウム〉を開くからと、久々に連絡をくれた。
雑木林の樹木は燃料となり、落ち葉はたい肥として畑を肥やし、持続可能な農業が今日まで営まれてきている。
農家によって適切に管理されてきたこれら食住の生活環境では、生物多様性が高い自然と独特の美しい景観が形成されてきた。
このかけがえのない「農」と里山のシステムを未来に向けて発展させるために、シンポジウムを開催すると云う。
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西武新宿線の航空公園駅から10分弱の、所沢市民文化センターへは途中ボランティアが何人もいて幟を持って案内をしていた。
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会場には600名の市民が駆け付け、シンポの注目の程が伺われる。

落ち葉掃きをしたり、雑木林の管理をしたり、収穫したての野菜を買ったり、味わったり、緑の中を散策したり、三富の歴史や文化に触れたり、三富のことを学んだりと・・・・

三富地域の象徴となっている雑木林は、都市部に住む人達にとって、身近にある美しい自然です。
しかも、心を和ませる空問として、その重要性はますます大きくなっています。
メンバーになるとドングリのストラップがもらえる。