報道された西早稲田のお宅にも、あれ以来伺っていなかったので、先日、都心まで出掛けたので、ご挨拶に伺った。
丁度、奥様がいらっしゃったので、捜索ではミョウガの群生地の一部を踏み荒らしてしまったことなどをお詫びをしたが、捜索活動に理解をいただいて、意に介していない様子であった。
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ミョウガの群生地は、根元が暗かったのでシャッターもスローで手振れの写真(写真をクリックする)になったが、ミョウガの花穂が一面に咲いていて様子(10月2日撮影)は伝わると思い掲載することとした。
早稲田ミョウガは晩生ミョウガ、秋ミョウガであることが見て取れる。
奥様とは、霜が降りてから時期を選んで根を分けていただき、ミョウガ栽培の経験を持つ練馬の農家・井之口喜實夫さんに増殖してもらうことで、了解を得ている。
これら、今後の計画について捜索隊幹部にお集まりいただき打ち合わせを行った。

写真左上・捜索隊長の石原光訓さん(早大政治経済学部4年)、写真左下・副隊長・松井健太郎さん(早大商学部3年)、写真右上・早大OGの島貫倫子さん、写真右下・早稲田環境塾OBの伊藤俊文さん。
捜索報道によって、多くの方々に情報を頂くなどご支援を頂いている。
皆さんのご意見としては、これまでの途中経過の報告をどこかで行う必要があるとのことで、ちょうど11月2日、3日(文化の日)に明治神宮宝物殿前で開催される東京都農業祭の会場でパネル展示をしようと云うこととなった。
同会場では、東京都農住都市支援センターが小さなブースを出し、江戸東京野菜のスペースを取る予定でいるので、早稲田ミョウガのパネル数枚も掲示、副隊長の松井さんが常駐して説明すると云うもの。
また、11月6日(土)、7日(日)に開催される早稲田大学の学園祭「早稲田祭2010」でもスペースが取れないか等の意見が出たが、これは実行委員会に確認することとなった。
また、報告としては隊長の石原さんが卒論のテーマとして早稲田ミョウガをとり上げ、すでに指導教授に相談を行っていると云う。
江戸時代の地域ブランド「早稲田ミョウガ」が、江戸庶民にとってどのようなものであったのか、そして早稲田大学が創設されたことで都市化が進み、市場から消えてしまったが、その辺りを掘り下げていくという。
これまで早稲田ミョウガについての論文は無く、それだけに興味深く期待したい。