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17時からの伝達式には、これまで25年の間、三國シェフを支えて来られた、発起人の茂木友三郎氏(キッコーマン椛纒\取締役会長)、鈴木与平氏(鈴与椛纒\取締役社長)等、親しい方々がお祝いに駆け付けた。
会場は立錐の余地のない状況だったが、上席に服部幸應先生がおられたので、ご挨拶に伺い、そのまま先生の近くにずうずうしく居場所を確保した。ここなら受章の様子が写真に撮りやすい。

1883年に創設された農事功労章は、発案者であったジャック・メリンヌ農業大臣より「終わりのない仕事、多大なる献身が求められながらも、形として報われない」職業に従事する人々へ与えられるものとして位置づけられていました。
今宵はフランス共和国より、日本だけでなく、世界中で最も優秀な料理界の親善大使としての役目を果たしてくださる方に、この勲章が与えられます。
有名シェフの下での修行時代
北海道で大勢のご兄弟と共に、ご両親に育てられ、少年時代に良い食材と料理に興味を持たれるようになりました。
札幌グランドホテルや東京の帝国ホテルでの修行時代を経て、1970年代にスイス日本大使館の料理長となられ、その当時は世界で最も有名なシェフだったフレディ・ジラルデに弟子入りされたのをきっかけにトロワグロ、エーベルランやシヤペル等の、フランス国内でも最も権威のあるレストランで研鑽を積まれました。
1980年代に帰国されてからは、ビストロでの経験の後に、東京の食の文化を代表するまでになったレストラン「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフになられました。
フランス料理の真髄への到達
三國さんは日本にフランス料理を輸入されたお一人で、ミクニブランドはフランス流の品質とセンスの良さの象徴と称されるだけでなく、全国15ケ所で営業されている店舗のおかげで、国内の何処にいてもテロワール(郷土)の味が楽しめます。
「食の親善大使」として、故郷である北海道の食材を使用される事で、より洗練された、スタイリッシュで融合されたお料理を創作されるようになりました。
「料理は一枚の絵だ」と言われるように絵画の影響を受けられ、毎日のように日本とフランスのマリアージュを試みておられます。その結果、小田原産のアカザェビのポワレや恩師に敬意を表して名づけた「ポール・ボキューズ風トリュフのスープ」等がお店のメニューに載っているのです。
両方の文化の良い部分を取り入れながら、独自のスタイルを形成され、それはフランス風でも和風でもなく、日仏混合の独創的な料理の世界になりました。
世界的なフランス料理の親善大使
フランス高級料理組合の日本代表として、両国の交流を促進され、食育を通して若い世代の伝統料理や食材への関心を高められました。
世界中の有名なホテルやレストランで「ミクニ・フェアー」を行い、フランスの食の文化の普及に従事されるだけでなく、福岡で開催されたG8蔵相サミットの晩餐会や小泉、安倍に代表される歴代の首相が行った公式晩餐会の場で、最も要求の高い
方々をも満足させられました。
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因みにフランス共和国農事功労章とは
農業・水産省が、フランス農産物対外輸出、外国市場での販売促進、および フランスの食文化の普及に、特に功績のあったフランス人や外国人に授与する勲章である。
1883年フランス農事功労章とそのシュバリエ章を創設。
当時のフランスが農業で支えられていた事を受け、「約1,800万人が農業に従事しており、その仕事を通して国の豊かさの発展に貢献している。」とその功績を評価。農業関係者の数が多く、レジオン・ドヌール勲章では数が足りないため、農事功労章を創設するに至った。
1887年オフィシェ章、1990年コマンドール章を創設。
年間の受章と昇叙の人数は、全世界でコマンドール章 60名、オフィシェ章800名.、シュバリエ章3,200名。
日本における過去20年間の「フランス共和国農事功労章」の受章者はわずか約140名である。
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22日には、服部幸應先生が友人代表で、受章のお祝いと「オテル・ドウ・ミクニ25周年」を祝う会を、ミクニ マルノウチで開催するが、生産者を大切に思うシェフから、当日は、江戸東京野菜の生産者代表6人が招かれている。