この講座で注目したのが、日本では少なくなった「焼き畑体験」。
昨年、山形在来作物研究会から招かれて「公開フォーラム2009」に伺った時に、山形大学の平智教授と、江頭宏昌准教授が、藤沢カブの焼き畑にご案内いただき、生産をされている後藤勝利さんからお話を伺ったことが強烈な印象となって残っていたからだ。
結局、色々と仕事がたまって「焼き畑体験」には伺うことができなかったが、今回、伺うにあたって、江頭先生に今年の焼き畑地を見せていただきたいとお願いをしていた。
今回の講演でいただいたテーマは、「コミュニティーの形成によるマーケティング戦略」。
学者ではないから、アカデミックなお話は出来ないが、実践者としての、経験をお話するので、いいのならと云うことでお引受けをしていた。
亀戸商店街の亀戸大根での町おこしの事例。日本橋の料飲組合と月刊日本橋の事例。小金井市のプロジェクト。品川区の青果店の事例。寺島ナスの事例などを紹介した。
例によって、15分も予定時間をオーバーしてしまって、皆さんにご迷惑をかけてしまったが、熱心に聞いていただいたのには感謝だ。
この実践講座には、地元のJAからも参加していた。
JA庄内たがわの安藤一雄支所長とJA庄内みどりの小林恵さんで、二人ともお話することができたが、在来作物の普及推進には頑張ってもらいたいと激励をしておいた。
講演が始まった時点では気がつかなかったが、昨年お世話になった平智教授が一番後ろで聞いていただいていたようで、受講者に交じって部屋から出てこられて、大竹さんに紹介しますと、名刺交換をさせてもらったのが、島村菜津さんだった。
イタリアで生まれたスローフードを日本に紹介した人としても有名だが、私の話を聞いていただいたのには恐縮だ。
島村さんは伝統野菜に大変興味を持っておられ、日本各地で取材記事も書かれていて、私の「江戸東京野菜」の本も読んでいただいていた。
講演後、今年の焼き畑地を案内してくれると云うことで、平教授の車に島村さんと同乗させていただき、江頭先生の研究室に今年入った学生たちは、別の車でついてきた。
生産者の後藤勝利さんのお宅に寄ったが、奥さんは「主人は山にいる」というので、目的地に向かった。
切り払われた畑には焼け焦げた切り株が所々にあるが、一面に藤沢カブが生育していた。
アルケッチャーの奥田政行シェフもタネをまいたと云うことで、看板が立っていた。
鶴岡市が用意してくれた長靴をお借りして、斜面の畑を登って行ったが、後藤さんが畑の上の方で作業をされていた。
島村さんも質問していたが、種は左右にバラ蒔くのだという。だから足の踏み場もなくカブが生えている。後藤さんの話だと、人に踏まれても踏まれた状態で生育する強いカブだから踏んでも大丈夫だという。
改めて、後藤さんにいただいた名刺には、山形在来作物研究会会員、藤沢かぶ、湯田川孟宗生産者とあり、裏には
「藤沢かぶ」
我が家には一握りの種を譲り受け5アール程度の畑から復興栽培がはじまりました。在来種の細長いかぶで食感が良いと、主に漬け物として食されています。
焼畑農法で行われ、畑地が煙でくすぶって熱いうちでも種子をまき発芽を待ちます。
収穫は10月から小雪舞う12月まで行われます。」とある。
これからは作ってくれと一握りの種をもらったので、それから焼き畑で栽培を始めたら、昔の形(左 )が甦ったんだ。」
平智教授からも後藤さんの取り組みの様子などを話していただいたが、
島村さんが来たことで、後藤さんもご機嫌で、あたりに生えているカブを無造作に抜いて、食べてみろとすすめていくれた。
土のついたかぶだ。
昨年来た時に教えていただいていたので、葉っぱで大根の土を拭ってかじる。
みずみずしい爽やかな味だ。
島村さんも、美味しい !と言って、音を立ててかじっていた。
後講演で、後藤さんの焼き畑を「山の中の緑の聖地と思った」と話している。
立てにかじるのと、横にかじるのでも食感が違うことも教えてもらった。
拭いきれない土が付いているのがワイルドで美味い。
葉も食べたがびりっとしておいしい。
昨年お会いした時、これまで東京で仕事をしていたが、これからこちらで在来作物を取り続けて皆さんに紹介していこうと思っている、と話されていた渡辺智史さんが記録映画を撮影していて、声を掛けてくれた。
続きはまた明日。
地元庄内のJA庄内たがわの 黒井コ夫代表理事組合長には、先般、東京にみえた時に、庄内にきたら寄れと云われていたが、寄る時間がなく鶴岡に着いてから改めてまた伺うと電話でお詫びを申し上げた。
実践講座を受けている安藤支店長が組合長から預かってきたとワインのセットを持ってきてくれた。
帰宅してからお礼の電話をしたが、「月山ワインは在来作物の山ブドウ(赤)と、甲州ブドウ(白)だからいいと思って !」とお気遣いをいただいたものだ。
江頭先生に聞くと、甲州ブドウは山形在来作物の一つだが、元はその名の通り山梨で、山梨には江戸時代中期にヨーロッパから入っている。その後の中・後期に山梨から苗木を得て山形でも栽培されるようになったという。
昔は、新聞紙を敷いた木箱にブドウを入れて積み重ね、北向きの雪囲いと家の間に置いておくと長く保存ができて、秋に収穫してから雛祭りのお節句の頃まで食べられると云う。
山形ではその後、選抜等で山梨の甲州よりも糖度が高い「甲州ブドウ」が生産されていると云う。
組合長のお気持ちに感謝して、特別な日に家族で飲もうと思っている。