江東区砂町は、かつて砂村と云われ、江戸時代の農業の先進地として全国からの野菜が持ち込まれ、促成栽培の技術も早々と導入されていた。
第五砂町小学校では、地元砂村の名前のついた野菜の栽培復活を食育・食農として取り組みたいとしていたが、砂村一本ネギのタネが残っていたことから9月30日に播種、当ブログでも紹介した。
タネ蒔きをしたあと、栄養教諭の銭元真規江先生から、メールをいただいた。
「・・・・・(省略)
「砂村一本ねぎ」の授業の際は大変お世話になりました。
子ども達は先生のお話を大変興味深く聞き、ねぎだけでなく、「砂村三寸ニンジン」のことや江戸東京野菜のことなどを「砂村一本ねぎ新聞」を作り詳しく書いていました。
今では作られていない貴重なねぎの存在を知り、大切に育てていきたいと決意を新たにしました。また、砂村三寸ニンジンは、近くの学校でも同じように育てているため親近感がわいたようです。
種をまいたすぐ後の3連休には、サッカーで学校に来た4年生の児童が土が乾いているからと水をまいたそうです。
そのお陰もあってか10月4日には芽が出て、今ではどのクラスも5〜6pには伸びてきました。クラスごとに当番を決め、水やりを欠かさないでいます。藤浪さんも心配して種をまいて1週間後に見に来てくださいましたが、順調に伸びてきている様子でホッとされていました。もっと伸びてきて学年の畑(花壇)に植え替える時には、また藤浪さんのお世話になります。
無事に収穫するまでにはまだまだ大変ですが、児童と一緒に育てていきたいと思っています。
・・・(省略) 銭元真規江」
「砂村一本ねぎ新聞」が書かれたと聞いていたので、伺ってきた。
私の話は、江戸時代の砂村の話、どんなものが栽培されていたかなどのお話だったが、砂村一本ネギ新聞を読むと、生徒がどんなことに興味を持ったのかが分かって参考になる。
私の話は、江戸時代の砂村の話、どんなものが栽培されていたかなどのお話だったが、砂村一本ネギ新聞を読むと、生徒がどんなことに興味を持ったのかが分かって参考になる。
関西では葉を食べ、関東では根深ネギで「白い部分」を食べるという食文化の違いなどや、
タネについてもよく見てくれたようで、胡麻より小さいタネだが、「あさがおのタネににた形でした」のようだと二人とも良く観察していた。
また、砂町小学校で砂村三寸ニンジンの復活栽培をしていることにも注目して、長いニンジンの絵まで描いてくれた。
また、「皆さんの住んでいる江東区は、江戸城の東にあるから、昔は城東区と云っていました」と話したことが、新鮮に聞こえたようで、新聞に書いている。
温かくなってからになると思うが、畑に定植するのが待ち遠しいようであった。