探していた「神田青果市場発祥の地」の碑が居場所が分かった。
神田市場は、碑文にもあるように「・・・慶長年間に今の須田町付近、当時の八辻ヶ原と称していたこの地一帯において発祥したものである」
平成14年に、農文協から、「江戸・東京 農業名所めぐり」(発行JA東京中央会) を発刊したが、その編纂をしている時、この碑文を書き写しにきたことがあった。
当時この碑は、須田町1丁目10番地の老川ビルの敷地内の出入り口にあったが、平成18年、その碑がそこに無くなっていた。
隣の布団屋さんに掲示があり、何でも、千代田区が保管していると云うことで、「多町大通りの道路整備に合わせて、路上での保存法を検討している」とある。
仕舞い込まれて、いつになることやら、写真を撮っておけばよかったと思ったものだ。
それが、先日、東京地評の「シリーズ東京の今昔」神田市場跡に写真が写っていた。
早速、シリーズ担当の菊池さんに場所を伺ったので暇を見つけて行ってきた。
あった ! 。
碑の横(須田町1-8)には、千代田区町名由来板や、地図もあった。
改めて碑文をなでながら、読んでみたが、この碑も永住の地を見つけたようだ。
神田市場はこの地から神田川を渡った秋葉原の地に昭和3年に移っていて、移転30年の記念に市場関係者がこの碑を建立した。
市場で働き、暮らしてきた人たちは、「・・・祖父の代からこの愛する市場で生きてきた
われわれは神田市場がいつまでもなつかしい あたかも生まれ故郷のように、尽きない名残をこの記念碑に打ち込んで、旧市場の跡を偲ぶものとしたい。」とあり、人々の思いが切々と伝わってきて、何度も読み返した。
須田町、多町などから去って80余年、秋葉原に移ったその市場は大田市場へと、さらに遠くに行ってしまった。
この地には今、市場を思い起こすものは何もない。
しかし、少し離れたところには、ビルの谷間に昔を伝える伝統文化様式のお住まいが残っていた。