2010年12月16日

「里帰りした三河島菜」が順調に生育、鍋物に美味い。


江戸時代の漬菜と云えば三河島菜だ。

この三河島菜、明治初年に導入された白菜が昭和の初めに普及すると、漬菜は白菜にとってかわられ、三河島菜は栽培されなり、今では三河島菜のタネも無く、絶滅したと云われていた。
数年前、仙台の伝統野菜の販売をされている今庄青果の庄子泰浩専務と親しくなり、仙台伝統野菜の詰め合わせや資料を送っていただいたことがあった。

その中に、仙台芭蕉菜が入っていて、資料には、仙台芭蕉菜は三河島菜だとの記述があったことから、急に身近なものと感じていた。
同社のホームページにも、そのことは、掲載されている。


1三河島 (1).jpg


クリックすると背後に栽培中の三河島菜。

今年の、6月だったか、宮寺光政さんと一緒に、野口種苗に野口勲さんを訪ねた折、仙台芭蕉菜の絵袋があったので購入して、宮寺さんに大きく作ってくれるように頼んでいた。



先日、宮寺さんから大きくなったと連絡が来たが、仙台で三河島菜と云われている根拠が知りたくて、仙台農業改良普及センターに電話を入れてみたら、菅野秀忠主任主査が親切に教えてくれた。


img355.jpg


明治39年3月発行の、吉野平八著「最近蔬菜栽培法( 仙台養種園 )」に「三河島菜(仙台にては芭蕉菜と称する。)」と書いていると云う。

徳川家康の江戸入府は天正十八年(一五九〇年)。家康は尾張・遠州・駿河など、配下の武士は勿論のこと、商人から農民までを引き連れてきたが、三河の百姓を入植させて名付けた地が三河島との説がある。

そこで栽培された漬け菜、三河島菜が江戸の食文化の一端を支えてきた。

 「東京府下農事要覧」には「十一月にだんだんに抜き取って収穫する。葉が大きく、葉柄部は歯切れよく、美味しい塩漬けにして、人びとが賞味する。そのためこの村では全戸が栽培し、もっとも有名である」とある。

東京府立農事試験場時代(現・東京都農林総合研究センター)に描かれた細密画が唯一当時を伝えるものとなってしまったが、絵から見る限り、葉の幅が広く、色は黄緑、白菜と違い結球はしないが大株が描かれていて、写真と良く似ている。


3三河島 (4).jpg



三河島菜は、練馬ダイコンと同じように、巣鴨のタネ屋街道で販売され、地方大名や江戸見物の土産として全国各地へと持って行かれ、各地で栽培されていた。

その一つが、仙台に伝わった仙台芭蕉菜であったようだ。
 
明治43年の内藤新宿農事試験場の種苗カタログには、白茎と青茎との2種類のタネが販売されている。

「青茎三河島菜 本邦において古来耕作し来たりし有名なるもの茎付き殆ど緑白色を呈し、葉亦●●性質頗る強く晩生種とす 盬蔵として久貯に堪える。」とある。


5三河島 (6).jpg


クリックすると、仙台では、これでは大きいかもしれないが、
葉の幅が広く、芭蕉の葉のようだと云うことでその名があるようだ。

宮寺さんにいただいて来て、早速、白菜代わりに鍋料理にして食べてみたが、癖のない味で、大きな株の割に結球していないから食べきれた。

宮寺さんは、小平の直売所に出荷すると云っていた。食べ方も書き加えると云っていたが、名前は「里帰りした三河島菜」ではどうかと提案したら、面白い! 。

物語付き野菜だけに、東京と仙台で相乗効果を期待しよう。

この野菜、荒川区の名前の付いた野菜があったら「子供たちに食べさせたい」と云っていた栄養士の先生方に、早速、学校で栽培してみないかと提案をしようと思っているところだ。

三河島菜の説明板は、オリンピックの金メダリスト・北島康介選手の実家(北島精肉店)の近くにある稲荷神社に建っている。

posted by 大竹道茂 at 01:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 里帰りした三河島菜
この記事へのコメント
お電話ありがとうございます、興味深く拝見させて戴きました。

偶然ですが、今日は僕の50回目の誕生日です
素敵なプレゼントをいただきましたありがとうございます。
この画像を見ていると、嫁に出した娘に孫が生まれたような感じです。
東京から見てもそうでしょうか?

大きく成長しましたね、仙台の芭蕉菜よりも上品に見えるのは気のせいでしょうか?
気温の関係なのでしょうか?今朝の仙台は氷点下でした。
仙台ではもう少し荒々しくみえます。(田舎者か?)
相原栄子さんという仙台市若林区日辺(にっぺと呼びます)で18代続く農家さんが栽培してくれています。
伊達家も18代当主伊達泰宗氏です。

実際販売してみると少し大きめのほうれん草位の大きさが人気で得りやすいようですが、芭蕉菜の味も存在感もこの位にならないと出てきませんね。

いつも応援いただきまして本当に感謝します。

蛇足ですが仙台市博物館と一緒に来年発行の市史通信で仙台白菜松島純二号の歴史を調べています
大正時代、米10kg3円の時代に仙台白菜が1貫目1円で取引されていたとか、ピーク時は貨車5068両で161万6,353俵も出荷されていたことが確認されています。
NHKの月刊野菜通信では大正時代の面白い話が出てきましたし、谷崎潤一郎が白菜好きで美食倶楽部という小説の中に白菜を女性にたとえて登場させているとか?

またメールします、ありがとうございました。
Posted by 庄子泰浩 at 2010年12月16日 12:37
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/42108651

この記事へのトラックバック