今年の2月27日に、東京都の小中学校に勤める栄養士の先生方から呼ばれて、江戸東京野菜のお話をしたことがあったが、
その時、荒川区の若い栄養士さんから「昔、荒川地区で栽培されていた野菜を探している。タネが無いものでしょうか !」との質問を受けたことがあった。
そのことがずーと気にかかっていた。
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先日、飲食店の皆さんに食べていただいて、充分に市場性もあることがわかったことから、荒川区の小学校で栽培を復活し、給食で食べてもらうことも可能だ。
「里帰りした三河島菜」を欲しいという飲食店の注文もあり、このままではすぐに売れてしまうかもしれない。
この機会を逃がすと、来年の冬まで見ることも味わうこともできないと云うので、
第三日暮里小学校の栄養士・清水一枝先生と、尾久宮前小の栄養教諭の鈴木恵理先生は、見たことのない「里帰りした三河島菜」に逢いたいと荒川から飛んできた。
写真をクリックすると、JA東京むさし広報の渋谷さんも取材に駆け付けた。
写真右が、清水さんに、左が鈴木さん。
初めて見る「里帰りした三河島菜」、早速、葉をむしって口に入れる二人。
「柔らかい」「癖がない」「甘い」「わずかに苦味もあるかな ? 」などいいろいな、食感を確認しながら食べきった。
来年度、食育授業を ぜひ実施したいと云うのが二人の意向で、4月以降、希望校に対する「里帰りした三河島菜」の物語を伝えていきたいと云う。
お二人には、自分で料理して食べ方を研究してもらうために、宮寺さんの好意で大株をお土産に持ち帰ってもらった。
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また、昔から出荷する際に面倒だったと云うのが、株元に隙間ができて土砂が入りやすく葉柄の内側についた泥を取るのに手間がかかったと言い伝えられている。
確かにそのような傾向が見られ、こんなことも、白菜にとってかわられた要因の一つになったようだ。
仙台の庄子泰浩専務さんからメールと活況の仙台東四市場の写真が届いた。
情報ありがとうございます、凄いですね!
国鱒のように取り上げられると、本当に面白いですね。
よく考えてみると、もう少しドラマがあるのかもしれません。
先日もお知らせしましたが、三河島菜の絶滅の原因が白菜の普及だとすると・・・
そこにも仙台が関わりますね。仙台白菜の東京進出が三河島菜を衰退させたと言う事でしょう?
もう少し、仙台市博物館や文学館と連絡を取り情報を集めてみます、年末年始で仙台朝市の八百屋は31日までてんてこ舞いです、もう少しお時間をください、乱文で申し訳ありません
年の瀬を迎え、厳しい寒波が押し寄せています、くれぐれもご自愛戴きますようお願いいたします、大変お世話になりました、来年もよろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えください。
仙台朝市 今庄青果 庄子泰浩