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三河島は三河島菜の産地で、江戸から明治にかけては漬菜と云えば三河島菜だった。
しかし、明治初年に中国から白菜が導入され、また、明治38年に三河島駅が開業すると都市化の進展により、畑は無くなり産地は尾久の方に移り、その後白菜の普及等もあり三河島菜は栽培されなくなっていく。
三河島菜の産地として隆盛を極めた、そんな所にある三河島稲荷神社に、平成9年に江戸東京の農業説明板をJA東京グループが建立した。
日暮里駅から常磐線で三河島へ
(写真をクリック)、長いホームの中でも一か所、ビルとビルの間から、東京スカイツリーが望めた。
幹線道路から細い道を入ったところに三河島稲荷神社がある。
ここから「三河島稲荷神社」を見る
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鉄道が敷かれたり、駅ができたり、急激に都市化になったことで、区画整理などされないうちに宅地化されたために消防自動車も入れないような、昔の農道がそのまま現代に残っている。
お参りをした後、先を急がねばならず、京成電鉄の新三河島駅に向かったが途中、峡田(はけだ)小学校の脇を通った。
ここの栄養士さんも三河島菜を栽培したいとの希望を聞いている。
北島康介選手が食べて育った「肉のきたじま」のメンチカツをゲット。
ここまで来ると有名な、「きたじま」のメンチカツサンドをぜひ買いたいと寄ってみた。
オリンピックの金メダリスト、 北島康介選手のご実家だ。
ここから「肉のきたじま」を見る
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お客の少ない時間帯だったようで、幸運にも目的のメンチカツサンドをゲット、お母さんが包んでくれた。
お店には、長島茂雄氏とのツーショットの写真などが飾ってあって、お父さんが店の奥から、北島選手の近況などを教えてくれた。
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家紋は、丸に橘、我が家の家紋と同じだ。
この、メンチカツサンド、みじん切りの玉ねぎが口の中でサクッと存在感を示していて、しかも肉の旨味を引き出している。
メンチカツだからソース等いらない。しかも手軽に食べられるサンドはありがたい。
なるほどお客が行列を作るだけの事がある。
宅急便で地方発送もしているようだ。
西日暮里駅前通りとなっていたが、店の前の道路の地下には、東京メトロ千代田線が走り、西日暮里と町屋の間(西日暮里1-41-3)に当たるようだ。