2011年02月20日

伝統の「江戸菓子」、向島・梅鉢屋の野菜菓子を買ってきた。



江戸後期の文化元年(1804)佐原鞠塢が向島百花園を開いているが、文化文政(1804〜1830)の頃は江戸市民が隅田川を渡って向島の風情を楽しみにわざわざやって来て遊んだ。

丁度その頃、砂糖が江戸にも入荷するようになり、当時としては、高級な砂糖漬の野菜菓子が江戸市民に喜ばれたという。


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先日、江戸東京博物館に行った折、売店で向じま・梅鉢屋の「江戸 野菜菓子 すみだ川」(税込1,000円 )を見かけたので買い求めた。

中には、牛蒡、蓮根、人参、蕗、大根、生姜、蜜柑、昆布が入っていた。



砂糖漬けの梅鉢屋は日本橋人形町にあった「伊勢一」が起源で、同店の腕のいい職人の後継者が代々技を守り、大正末期にこの地に移ったとかで、江戸で生まれた砂糖漬けと云う伝統文化を継承するのは唯一この菓舗だけだという。

甘いものが少ない江戸時代には、砂糖は貴重なもので薬としても使われていた。


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1727年八代将軍徳川吉宗は琉球からサトウキビを取り寄せ、砂村新田(現江東区砂町)で栽培をさせているが・・・砂糖が造られたとの記録はない。

享和年間(1801〜1804)、高松藩では第五代藩主・頼恭が医師の向山周慶に製糖技術を学ばせ、讃岐で白砂糖が製造されるようになった。

この時代、讃岐ばかりか、阿波でも製糖技術が確立され、「和三盆」として、江戸にも入ってきていた。

「和三盆」とは、それまで中国から輸入されていた砂糖を「唐三盆」と呼んでいたことから日本で作られたものを「和三盆」と呼ぶようになった。

昨年、BS-朝日が、日本風景遺産で「江戸野菜がある風景」として武蔵野と向島界隈を取り上げた。

元朝日新聞記者の加藤千洋氏を向島百花園「茶亭さはら」の佐原滋元氏が案内して、向じま・梅鉢屋を訪ね、砂糖菓子がつくられる過程を紹介した。

その時、初めて地元のナス「寺島ナス」の砂糖漬けがつくられ、加藤氏が食べて、ゼリーのようだと云っていたのを思い出した。

寺島ナスは市販のナスと違い、加熱するとトロミがでるから、美味しいはずだ。


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上から、蕗と蓮根、左下は牛蒡、右下は蜜柑。


季節によって異なるようだが、薩摩芋、栗、茄子、椎茸、金柑、無花果、茗荷の他、セロリや苦瓜等新しい野菜もつくられ、常時15種類前後を用意しているという。


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上から生姜と人参、下は大根と昆布


先日、梅鉢屋の女将と電話で話したが、

江戸菓子だけに、
寺島茄子をはじめ、練馬大根、亀戸大根、滝野川牛蒡、品川蕪、東京独活等、季節ごとに使ってみてはと、提案してみたが興味を持っていただいた。

市販の交配種の野菜ではなく、江戸の昔から伝わる野菜にこだわっていただくように、今年は、生産者とも話しあって季節の江戸東京野菜を提供して試作してもらおうと考えている。


このお菓子、向島百花園の「茶亭さはら」、江戸東京博物館の墨田区観光協会売店、品川駅新幹線ホームの売店などに置いてある。



クリックすると
「向じま 梅鉢屋」にリンク
墨田区八広2-37-8  電話 03-3617-2373


posted by 大竹道茂 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報
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