恩師の加藤源蔵翁は、昨年、2月、83歳で天寿を全うされて亡くなられた。
地元から、翁の死を悼んで顕彰碑の建立の話が持ち上がり、4月1日、練馬区錦にある翁の菩提寺圓明院境内において、陶山義憲住職(発起人)のもと「加藤源蔵先生顕彰碑建立式典」が執り行われた。
翁の功績は、碑文にあるが、
その一つ、江戸東京の伝統野菜が一つひとつ復活し、今日普及をみるにいたったきっかけは、「命の糧として先祖が守り継いできたタネを、我々の代で無くしては先祖に申しわけない、後世に伝えなければ」と云う、翁の教えが原点になっている。

顕彰碑の除幕曳き綱の右の左から、発起人会会長の元JA東京あおば代表理事組合長 橋本晴夫氏、練馬区長志村豊志郎氏、JA東京あおば代表理事組合長 榎本高一氏、圓明院奉賛会 篠信男氏(発起人)。
曳き綱の左の右から、元JA東京あおば代表監事 小泉知定氏(発起人)、元東京協同サービス椛纒\取締役社長 内田富雄氏(発起人)、ご子息の加藤源司、朝子ご夫妻が綱を引いた
現役時代の30年間ずうっと近くでご指導をいただいたことからJAの元専務・奥津稔氏から発起人としてお誘いをいただき、合わせて碑文の原案作成を依頼された。
碑文は、翁の自叙伝「都市農業一筋に」にかかわったこともあり、お引き受けした。
翁の幅広い活動からかなり詰めたつもりでも文字数は多くなってしまったが( 写真をクリックする )、発起人の皆さんも、理解を示され原案を大きく削ることなく、むしろ菩提寺など信仰の事が追加されてこのほど、建立の日を迎えた。

「顕彰碑」の文字を揮毫された志村豊志郎氏をはじめ、翁と心を一つにして、都市農業を守るための運動に取り組んだ方々、特に親交のあった方々の名前が刻まれた。
17時からは、地元ホテルで、「偲ぶ会」が開かれたが、開会に先立ち、
この度の、東北地方太平洋沖地震で亡くなられた方々に、黙祷がささげられた。
尚 前掲以外の発起人(上の写真をクリックする)
JA東京あおば元専務・奥津稔氏、JA東京あおば常務理事・山口文夫氏、JA東京あおば今神支部長・加藤春雄氏、仲一自治会会長・鈴木健一氏。
再度来寺されたとの事、どうぞお声かけください。