練馬の農家で野菜の定植作業がはじまったので出掛けたが、途中久々に三宝寺池に立ち寄って遊歩道を歩いて池を一回りした。
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昭和30年代に練馬に移り住んだ時、番犬にと飼った秋田犬の幼犬を運動させるため、学校から帰ると三宝寺池までやってきて池を一周して帰る、往復1時間のコースをよく走ったものだ。

この地は、鎌倉時代末期から室町時代中期まで、現在の足立区、台東区、文京区、豊島区、練馬区やその周辺に勢力を持っていた豊島氏の居城だったところ。
石神井城は鎌倉時代の後期に築城されたと考えられるが、文明9年に大田道灌によって攻められ落城、その後は廃城となった。
かつては豊島氏の主要な勢力地に、北豊島郡、南豊島郡の郡名に、現在では豊島区にその名が残っている。
40年ぶりに来たが、池の周りは木材でつくった遊歩道が整備され、一周することが出来るようになっていた。

三宝寺池は石神井川の源泉の一つで、練馬区、板橋区、北区を流れ、周辺の農業用水としても利用されて王子の先で墨田川に注いている。
6千年前の昔には滝野川辺りから大きく南に下って、上野の不忍の池に注いていたという。
江戸の頃の石神井川は、隅田川に注ぐが、王子あたりの台地で分岐して農業用の三河島用水として、三河島一帯を潤していた。

水鳥や、山鳩が

犬の運動で来ていた頃は、湧水も認められていたが、池の周辺にマンションなども建設されるに及んで、湧水量は減少、現在はポンプアップして、沼沢植物群落を守っているようだ。
三宝寺池に隣接するところに、日本銀行の運動場があったが、最近、その土地を練馬区が購入したと新聞が伝えていた。
4.7ヘクタールと広いオープンスペースが分割されて宅地化されなかったことは、三宝寺池の湧水涵養機能を守るためには適切な決断で、この自然が次世代に引き継がれることになる。
石神井公園と三宝寺池へのアクセスはこちら。
尚、公園近くのJA東京あおばの石神井ファーマーズセンター脇には「キャベツの碑」が建っている。