先日、早稲田ミョウガ捜索隊の伊藤俊文さんから、プランターで栽培しているミョウガの写真をいただいたが、井之口さん(東京都練馬区)にお願いしている早稲田ミョウガはどうなったのか気になって電話をしてみた。
すると「芽が出てますよ !」と云うことだったので、先日、都心に出掛けた帰りに寄ってみた。
井之口さんは、「いいものを見せましょう」と云ってミョウガタケの軟化栽培をしているところを見せてくれた。
井之口さんはミョウガタケを昔栽培していたことから、その技術も紹介すると畑の一角に穴を掘ってくれていたことは、3月26日に定植作業をした最後に紹介してある。
畑の早稲田ミョウガだが、しばらく雨が降らない時期があったので心配していたが、今は順調な生育のようで、畑の隅に芽が一列になって伸びていた。
植えっぱなしのミョウガではここまでは太くならないが、井之口さんが良い根を選別して植えたので「今年は増えるだろう」とのことだ。
井之口さんの話では「3年に一度は根を掘り起こし、選別して植え直せば出荷できる花ミョウガが出来るだろう」と語っていた。
因みに、伊藤さんが再度5月3日に撮った写真を送ってくれた。
さて、ミョウガタケだが、今回は簡便な方法でミョウガタケを作ってくれた。
実際に出荷するには、穴は1.5bの深さに堀り、ワラや落ち葉を2-30aに踏み込んで床づくりをしてから、その上に芽が上を向くようにミョウガの根を置き、土をかけるという。

今回、急遽、昔のミョウガのまるき方まで実演してくれた。
出荷規格に合わせた台を作り、まるく適当な長さのわらを二本上下に置き、7-8本を二段に並べる。

一段と二段の間にはホウキモロコシを板状に二枚敷いて束が丸まらないようにするのがポイント。掃除機が普及してホウキモロコシは中々手に入らなくなったが、昔は何処にもホウキ屋さんかあったから、もらってきたと言っていた。今回は細い篠竹を割って使った。
井之口さんの話ではピンクに染まったところを合わせて、富士山のようになるように揃えるのが、先代から伝わる生産者の美学だという。
今では、発砲スチロールのトレー入りになってしまったが、情緒がない。
このような技術も、ビニールテープや発泡スチロールのトレーなどにとってかわられ、無くなろうとしている。
伝統の技術も一緒に次代に伝えていきたいものだ。
現在築地市場には、ミョウガタケは茨城産が3〜6月、宮城産が2〜7月と鰹の季節に入荷する。
因みに、東京都農林総合研究センターには、明治から大正時代に描かれた軟化ミョウガの細密画も残っている。