タウン誌・月刊「日本橋」の上林武人社長から退任のあいさつ状が届き、後任は編集長だった堺美貴さんがなられたと云うものだった。
堺さんにはお世話になったので、先日、日本橋の袂、かつての日本橋魚河岸跡にあるビルの8階、月刊「日本橋」のオフィスを表敬訪問してきた。

内藤トウガラシを窓際で栽培していると見せてくれた、堺社長(右側)と、記者の齊藤加代子さん。
月刊「日本橋」が初めて取材にきてくれたのは、平成18年の12月で、わが研究会も伝統野菜のタネを守ることだけに取り組んでいたころだ。
割烹・日本橋「ゆかり」の二代目野永喜一郎さんが、江戸東京の野菜についての特集を組むように、編集長の堺さんに話したからだ。
堺さんが、取材に来て、野永さんが江戸野菜に注目、一度会いたいと言っていると伺った。
それは願ってもないことで・・・、
「江戸野菜の保存・復活は料理屋さんとの連係があってこそ」と、インタビューに答え記事になった。
平成19年2月号に掲載されてから、「江戸東京野菜」のネーミングも広まって云ったということで、きっかけを作ってくれたのが月刊「日本橋」であり、堺さんであった。
一年後には「人(ひと)物語167」、で取り上げていただいたし、
23年1月号の「粋人有情」で原稿を依頼されたので「長蕪・茄子・人参の三題噺」と云うのを書いた。
その間、平成21年、同社の創刊30年の記念事業のことで相談を受け、「にほんばし江戸東京野菜プロジェクト」が生まれ、
その年は、金町コカブの他、伝統小松菜や亀戸ダイコンの栽培も日本橋の老舗の皆さんが取り組んだ。
この指導をしたのが、JA東京むさし小金井地区の後継者・高橋金一さんや井上誠一さんたちだ。

22年のプロジェクトは、寺島ナスだったが、黄色く熟して、タネの入ったナスを持って来てくれた会員もいたと云う。 また、同社が窓際で試作した内藤トウガラシも実った。
そして、23年は内藤トウガラシだが、今年も寺島ナスも栽培する会員もいると云う。
尚、この月刊「日本橋」は、B6サイズと小振りながら、92ページのボリューム、毎月1日発行ですので、忘れずに、日本橋の会員店でもらってください。