明治44年に開校した、江東区立第二亀戸小学校が今年で100年を迎えたが、この開校を祝って同校周辺を、子供たちが手作りの神輿と、吹奏楽でパレードを行い、その先頭を地元香取神社に伝わる宝船を再現し、地域文化の復活を行った。

この行事、先に、深川江戸資料館で開催された「平成22年度食育研究指定地区報告会」で「亀戸大根の生産体験学習」を報告した、江東区立第二亀戸小学校の田中孝宏校長が報告後に「おまけ」として、紹介したもので、先生からお誘いを受けたので伺った。
亀戸大根が地元亀戸で栽培復活したのは平成10年で、その前年にJA東京グループが農協法施行50周年記念事業として、都内に50本の説明板を建てたが、その一本が、香取神社に建てられた。
地元亀の会と亀戸香取神社が、町興しとして、地元の小中学校に依頼して栽培が復活したもので、平成11年に香取神社での収穫祭と、福分け祭りが行われ今日に引き継がれている。
亀戸香取神社は、江東区では最古の神社で、宝物殿には宝船の軸や、宝船も保存されている。

「紙本淡彩道祖神祭図」江東区指定文化財
これは浮世絵師歌川広重(1797-1858)が道祖神祭の様子を描いた肉筆画(写真をクリックする)。
宝船(道祖神祭祭具)江東区有形民俗文化財
この宝船は、江戸時代に使われていた祭具で、旗には「亀戸村 上ノ図子」とあり、「江戸名所図会」にも描かれている。
毎年正月14日に道祖神の祭りが行われていた。この道祖神祭には、氏子の子供たちが、竿から垂らした縄で船を吊るしてかつぎ、氏子の家々を回って、両国のあたり(当時は両国まで香取神社の氏子であった)まで練り歩いたもの。
はやす文句は「千艘や両艘 御ふねが参ったぞ、銭でも米でもどんと一ぱいおっつめろ。賽の神祀れ」とあり、香取邦彦宮司さんが解説してくれた。
古来より道祖神は、道路の神様で「道から来る悪霊を防ぎ、旅人を守護する神」とされると云われている。
田中校長は、亀戸の名の付く伝統野菜を、小学校で復活させた経験から、亀戸の宝船祭りを開校記念に合わせて再現し、大震災等で被災した、日本の復興を祈願して、宝船パレードを行うというもの。

9時30分から始まったパレートは、先頭を宝船が練り歩く。

町会もパレードを応援して、和太鼓で歓迎。
香取神社にお参りした帰りに、亀戸勝運商店街を戻ったら、「お味噌の丸定」の名物女将が店の前にいた。
久々の挨拶の後、「これ見て! 」と雑誌を見せてくれた。(女将をクリックする)
「フランス人だかドイツ人だかの記者が来て取材されたの。パリで売ってる本だって・・・・」と
商店会会長のご主人とのツーショットは絵になるネ―。
JR亀戸駅構内で、地元、元祖くず餅「船橋屋」の売場が目に付いたので買ってきた。
「船橋屋」は創業文化2年(1805)、渡辺雅司社長には、何年か前に、江戸から明治初期に創業した老舗組織「東都のれん会」の新年会に招かれたときにお会いしているので、懐かしさも手伝って立ち寄った。
亀戸天神の境内で初代勘助が故郷下総名産の小麦粉で作った "くず餅" は、江戸の文化を今に伝えている。