先日、雑司ヶ谷ナスの料理で、江戸ソバリエのほしひかる氏にお会いしたことは、当ブログで紹介したが、
その時に、7月18日(祝)の午後3時頃から、深大寺の庫裏で、夏蕎麦を味わう集いがあるからと、誘われた。

深大寺名物と云えば、「深大寺そば」、境内周辺にはいたるところ蕎麦屋がある。
そもそも深大寺は「水の神様」。
境内から湧きだした水は、辺りを潤していて、かつては蕎麦の実を水車で挽いて、湧水を使って蕎麦を打っていた。
深大寺は国分寺崖線という多摩川の河岸段丘の下に建てられている。
その崖線は、国分寺から世田谷まで続いているが、そのいたるところに湧水があり、湧水は野川に流れ込み、東急二子玉川駅の下で多摩川に合流している。

初めて開催された「深大寺夏蕎麦を味わう集い」は、深大寺の「一味会」が主催して行われた。
深大寺の張堂完俊大僧正が、開会の挨拶をされたが、( 要旨は写真をクリックする)
「この集いは、300名が申し込んでいて、3時から6時の間の都合のよい時間に来場ください。」と案内しているので、一回に50名づつ、食べていただいて、6時までに6回転するのだと云う。大盛況だ。
我々は、ミュゼダグリの納所二郎前理事長と一緒に、3時前に着いて案内された控えの間の出口に近いところに座っていたので、一回目のグループに入れた。
会費は3000円でチャリティ。
内訳は、3000円で深大寺窯蕎麦猪口を購入して、お蕎麦をいただくと云うもの。
その売上金は、東日本大震災義援金になる。
一番早かったので、釉薬の流れが美しい景色となった「蕎麦猪口」を選ぶことが出来た。

夏蕎麦の趣向は、豊後高田産(大分県)、タスマニア産(オーストラリア)、三芳産(埼玉県)の順で、蕎麦が打たれる。
先日、ほしさんに聞いた話では、蕎麦料理研究会の松本一夫さん( 江戸ソバリエ・ルシック )が打つと聞いている。

初めに、豊後高田(大分県)の蕎麦で、大分から来た西原さんから紹介があった。(蕎麦をクリックする)
大分は団子汁が有名だが、蕎麦の取り組みを初めてまだ10年とたっていないと云う。しかし、九州はおろか西日本一の栽培面積を誇っている。春、秋の2回そばの収穫が出来るそうで、今回は6月の上旬に収穫したもので、今回初めて東京、深大寺に持ってきたという。

タスマニア産は、お椀に入れた「ぶっかけ蕎麦」で出てきた。
汁の上にそばをよそったもので、まずは、混ぜないで蕎麦を味わう。
その後、大根おろしとネギをお好みで乗せて、汁とからませて食べると云う。(蕎麦をクリックする)
タスマニア産については、白鳥製粉の白鳥社長が挨拶された。
タスマニアはオーストラリアの南東にある島で、丁度、日本の北海道ぐらいの島だという。1988年に社長が作らせて輸入しているという。
同島は、これから冬に向かう気候で、今収穫した秋蕎麦の新蕎麦で「サンルチン」という品種を持ってきたという。

蕎麦は、その都度、汁も変わるので、残った汁は蕎麦湯を入れて飲みほした。
「みよしそばの里」からは船津さんが来ていて、蕎麦を紹介した。( 蕎麦をクリックする)
4月18日にタネまきをしたもので、通常は68日から70日ぐらいいで収穫するが、今年は、春先が寒いこともあり、色と味のバランスを取るために72日かけて、7月1日に収穫したもので、この会では初めて夏蕎麦として使っていただくという。
新蕎麦でみどりがかって、色も楽しめる蕎麦に仕上がっていた。
蕎麦を食べている途中で司会者が「今日は長年、NHKの天気予報でお馴染の方が来ています。
台風が近づいているので、今後の予報をしていただきましょう」と紹介した。お名前を紹介しないで・・・。
ご本人も名前を云わなかったので、良くみると、気象予報士の高田斉さんだった。
高田さんは、今後の台風の進路や今回の台風の性質などについてお話された。
隣りには、落語家の「三遊亭円窓」師匠も見えていて、続いて司会者から指名された。
何でも師匠はそばが好きで「蕎麦くい地蔵」という噺を創作したとか。
深大寺一味会産蕎麦粉を使った「そばかい餅」と深大寺一味会産小麦を使った「盆粉ボーロ」は、別室で出されたが(写真をクリックする )、食べ放題と云っていた。
この時期、深大寺では、地元JAマインズの生産者が栽培したほおづきで、三年前から「ほおずき市」を開いている。
大分・埼玉・タスマニアとバライティ
「新蕎麦」が もう〜〜
食べられたなんて(‘ー‘)/~~
楽しく!!!拝見致しました!
食いしん坊より