都立農芸高校の花野耕一校長先生から電話をいただいたのは、7月初めだったと思う。
7月27日に、「杉並の農・食・環境協議会」で江戸東京野菜の話をしてもらいたいと云うもの。
手帳を見たら丁度、空いていたのでお受けした。

早稲田通りを挟んだ圃場には、食べごろのスイカが収穫を待っていた。
都立農芸高校は、農業補修学校として明治32年(1899)中野駅前に創立した、東京では最も古い農業系高等学校。
昭和3年(1928)に東京府立農芸高校として現在の地、杉並区今川に移った。
想像だが、後に農業協同組合会長や、新宿青果の社長を務めた内田秀五郎氏が井荻村村長時代の大正14年に、関東大震災を受けた村の将来を考えて東京で初めての区画整理組合を創っている事から、整備された井草の地に将来のわが国農業を担う後継者の育成の場として、中野で被災した農芸高校を誘致したのではないだろうか。
今度校長先生に聞いてみたい。
昨年9月に都立農業高校で農業系高校の校長会があるとの情報を得たので、事前に農芸高の花野校長の了解を得て、お仕掛けのプレゼンをさせてもらったことがあった。
花野校長先生は、今年度、全国農業高等学校長協会理事長としてご活躍されている。
都立高校では、唯一馬術部のある学校としても有名で、丁度、全国大会が御殿場で開催されていて、花野先生は、一回戦を勝ち抜いた生徒の活躍を気にされていた。
今年、3月17日に、「農芸フォーラム」に招かれていたが、東日本大震災が発生したことから中止になってしまった。
この度、お招きいただいた「杉並の農・食・環境協議会」は、4年前に同校が中心となって立ち上げた会。
ボランティアを希望する方々を地域から募集し、−年間、同校での授業に参加し、草花や野菜栽培・庭の管理などについて学習してもらい、翌年ボランティア活動に生かしてもらうと云うための組織。
このことは、今年3月初めに、茗渓会で高橋元幸先生が講演されたので伺っていた。
協議会の皆さんには、初めに同校の近くにあるあけぼの作業所でも寺島ナスを栽培していることを紹介してから始めた。
杉並の伝統野菜・高井戸キュウリのタネが残っていること、世田谷の大蔵大根は、杉並の百姓・源内が作りだした「源内つまり」がルーツ、そして井荻ウドに練馬大根など、杉並や練馬などの伝統野菜についても触れた。

花野校長先生と西武新宿線の上井草駅までご一緒したが、駅前に同校の地域貢献事業の一つ、プランターがならんでいた。( 写真をクリックする)
地元、上井草の夏祭りが29〜30日に、早稲田大学・上井草グランドで開催されると云う。
今回は、生徒の皆さんとお会いすることはなかったが、そのうちに生徒の皆さんと伝統野菜について話しあう機会もできると思っている。
私の出番は「杉並の農・食・環境協議会」の総会が終わった後だから、しばらく校長室で待たせてもらったが、横井時敬が揮毫した大きな額が目についた。
有名な「農家五訓」が墨痕鮮やかにしたためられていた。
横井先生は、東京農業大学の初代学長で、当校にもご縁があったらしく、伝説の物語が伝わっているという。
良いものを見せてもらった。