NPO法人ミュゼダグリが栽培管理する、この「小さな畑」は、小金井市にある「江戸東京たてもの園」内の西ゾーンにある。
綱島家の裏庭にあり、西側に見えるのは、吉野家と小さい構築物は八王子の穀倉。そして東側にあるのは、八王子千人同心組頭の家という位置関係にある。

「小さな畑」については、当ブログでも紹介してきている。
先週、寺島ナスがテントウムシダマシに殆どの葉を食べられたと云うので見に行ったが、ひどいものだった。でも、一週間たって新しい葉が伸びてきていた。
また、その時に蒔いた夏大根も双葉を出していた。
マルチの無かった時代の栽培法から、本来はワラを敷くところ、近くにあったススキを刈ってきて敷いた。

「小さな畑」の前にあるのは、世田谷区岡本3丁目の綱島家。
江戸時代中期の建物を復元移築したもの。世田谷区の岡本公園民家園にも同期に造られた、農家が移築されている。
多摩川をのぞむ台地上にあり、広間型の間取りを持つ茅葺きの民家が多かった。
広間をかこむ長方形断面の大黒柱や、押し板という古い形式の板などから、建物の歴史が感じられる。
廊下には梅干しを作るために一度紫蘇で漬けた梅を、さらに干すと云う、梅の土用干しが行われ、農家の生活感が漂っている。

「小さな畑」の西にある農家は、三鷹市野崎二丁目の吉野家を移築復元したもの。江戸時代後期に建てられた民家だ。
吉野家は江戸時代に野崎村(現在の三鷹市野崎)の名主役を務めた家といわれ、式台付きの玄関や付け書院のある奥座敷に格式を見ることができる。
「小さな畑」の東隣りが八王子千人同心組頭の家だ。
八王子千人同心は、江戸時代、八王子に配備された徳川家の家臣団。
八王子市追分町にあった拝領屋敷地の組頭の家は、江戸時代後期の建物で周辺の農家と比べると広くはないが、 式台付きの玄関などは、格式の高さを示している。