せっかく都心に出向くので、1時間程早く出て、会場の茗渓会館のある茗荷谷を歩いてみた。

昨年、早稲田ミョウガの捜索を行ったが、茗荷谷は神田川をはさんで南斜面、北斜面が早稲田の鶴巻町に当たるという位置関係だ。
江戸のブランドミョウガは、早稲田ミョウガであって、茗荷谷のミョウガは、ブランドとしての記録は残っていない。
文京区が設置した茗荷坂の説明板には、”ご府内備考に「・・・むかし、この所へ多く茗荷を作りしゆえの名なり云々。」とあり"、
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また、旧町名案内に「旧茗荷谷町」につて、「小石川台地と小日向台地の間の浅い谷を茗荷谷と呼んでいる。江戸時代、茗荷畑が多かった・・・。」としかない。

地下鉄の茗荷谷駅を下車、左に折れて茗荷坂を下る。

浅い谷を下っていくと拓殖大学東門に出た。この辺が谷の底のようだ。
拓殖大学の東門後ろが深光寺で、そこには茗荷坂の説明板がたっている。また、寺には滝沢馬琴の墓がある。