江戸東京野菜の「品川カブ」、北品川の青果商、大塚好雄さんが、品川カブの種を無償で提供して、栽培を勧めているが、栽培指導は、当研究会の宮寺光政氏で、大塚、宮寺の二人三脚で普及推進を行っている。
昨年は、宮寺さんが指導したのが品川区立台場小学校で、今年は、先日、「区民農園マイガーデン南大井」で品川カブのタネまきを指導したことは、紹介した。

この程、品川区立京陽小学校でも、大塚さんと宮寺さんが2年生の1組と2組の54名にタネ播の指導を行った。
文化元年に薩摩藩主・島津重豪の命により編纂された、「成形図説」に描かれている「品川蕪」は見るからに大根を思わせるカブで、東京では珍しい。
クリックすると、宮寺さんが、飲料水のキャップを使って、わかりやすく指導をしている。
昨日、山路治郎兵衛勝孝翁の話を紹介したが、山路安清先生から戴いた資料の中に、何と「京陽小学校の沿革(明治22年10月6日作成)」の資料が入っていた。
これによると、「東京府荏原郡平塚村之戸越字郡大崎村ノ内桐ケ谷、居木橋、下大崎ノ四ケ村共立ニシテ明治八年一月之桐ケ谷ニ民家ヲ借リ一時校舎ニ充テ 第二中学区第十番桐渓学校と称す・・・」とあり、
「・・、仝十一年六月之戸越村八十九番地、校舎新築移転シ(省略)・・第二中学校第十〇番公立京陽小学校ト改称シ、九月十二日校舎落成開校ノ式ヲ・・・」とある。
この古文書(沿革をクリックする)、戸越村、上蛇窪村、下蛇窪村を管轄する戸長役場(荏原郡戸越村外ニケ村戸長・山路治郎兵衛。となっていて、山路家の先々代(勝知氏)が長として勤めていた。
同校の沿革はこれが元になっている。
歴史ある「京陽小学校」のどこかに孟宗竹の竹林があってもいいのではと思うのだが。
因みに目黒区立中目黒小学校には孟宗竹ではないが校門の脇に竹が植えてある。