東京における伝統野菜の維持や復活の取組は全国の中でも早い方だった。
昭和60年代、このままでは、東京の伝統野菜は無くなってしまうとの危機感を戴いた、心ある先輩がいた。
昭和41年に野菜指定産地制度が導入されたのをきっかけに昭和45年代頃から、タネは一代雑種のF1が普及し、大量生産、大量流通、大量消費の時代となっていった。
固定種は、病気に弱い、揃いが悪い、収穫しづらい、さらにタネを採るのが面倒等の欠点が多く。
特に揃いが悪いことは、大量生産や大量流通に乗りづらいだけに、生産者は激減していた。
丁度その頃を境として、伝統野菜を残さなければと云う動きが数県で興り始めていて、東京もその一つだった。
しかし、それからの取組が大幅に遅れてしまった。
春先にJA東京中央会が申請した「江戸東京野菜」の商標がこの程登録され、また「江戸東京野菜推進委員会」が伝統野菜を認証する制度が動き始めたわけで、
このことが東京農業の振興につながっていくことを願っている。
当ブログのトップページ右の「関連情報」の内の「江戸東京野菜栽培期間一覧」もご参考に
皆さまの熱意の賜物なのですよね^^
江戸東京野菜ファンとして、とてもうれしく思います。