9月の初めに、尊敬する山形在来作物研究会の江頭宏昌会長(山形大学農学部准教授)から、レシピ集「はたけの味」を贈っていただいたことは紹介したが、お礼のメールのやり取りの中で貴重な情報を戴いた。
先生からのメールによると、大学時代の師匠で、長野県の伝統野菜の掘り起こしにいち早く取り組んだ信州大学農学部教授の大井美知男先生が、山形大学農学部に来られ、雑談の中で、東京都西多摩郡檜原村にジャガイモの在来種があると話された、という。
江戸東京野菜のリストになかったようなので、一度、調査に出かけられては・・・。と云うもの。

檜原は、現役時代に何回も行ったことがあり、檜原のジャガイモは小さい芋だが美味いと云うのは定評があり、前にも食べた。
あれは「男爵」だと思っていたが「伝統のジャガイモ」だったのかも・・・、
江頭先生から情報を戴いてとっさに思いついたのが、山菜料理を食べさせる三頭山荘なら、わかるかも知れないと思って、暇を見つけて車で出掛けた。
檜原は、都内唯一の村で、東京の南西端にあり、1,000b級の山々が連ねている。
山の中に人里(へんぼり)の信号。
薮馬の集落に向かっていく道路の脇にシクラメンの温室(写真をクリックする)。
暑がり屋のシクラメンは、この時期、高冷地で栽培する。東京のシクラメン農家は、かつて夏場は檜原に持って来ていて、11月に山から下ろして最後の調整をしてからクリスマス用に販売していた。
現在、檜原も産地として定着したことで数棟の温室が並んでいた。

険しい山の斜面に農地がある。
檜原には檜皮葺きの家屋(畑をクリックすると)が何棟か残っていて、情緒ある旅館等になっている。
目的地は檜原都民の森への入り口近くにある、三頭山荘。
名物の、山菜小皿料理「檜」を女将に頼んでから、伝統のジャガイモの話を訪ねると、昔の事は、大女将(岡部里久子さん87歳) が詳しいと云うので、22品の山菜を端から食べながら女将の来るのを待った。
江頭先生のメールでは
われわれが普段食べているジャガイモの大半は明治以降に導入された品種だが、江戸時代に導入された可能性がある古いタイプのジャガイモのようだと云う。
大女将は、22品の山菜について説明してくれたが、伝統のジャガイモも皮ごと塩茹でてご馳走してくれた。
熱い茹でたては、ほくほくで美味い。
大女将の話では、
今は休業している「薮馬山荘」の何代か前の、「おいね」と云うお婆さんが作り始めた芋で「おいねのつる芋」と云うのだと・・・。
そこで、思い出したが、この地域は甲州との人の交流が大きく、かつては甲州の文化圏でもあった。
当ブログでも紹介したが、山梨の農業生産法人の山本ファーム(有)から、「落合芋」を今年も戴いたが解説を読むと北都留郡の丹波山村に入ったとか。
大女将は昔話を色々としてくれたが、話の途中で「おいねのつる芋」を栽培していた畑が見たくて、畑に連れて行ってくださいと、頼んでみた。

大女将は裏山に案内してくれた。(大女将をクリックする)
奥多摩へ抜ける有料道路(現在は無料)が昭和48に開通したが、建設に伴い農地は上と下に分断されてしまった。
87歳の大女将は、「最近は足が痛くて」と云いながら、畑での栽培の様子を説明してくれた。
こんな斜面で「おいねのつる芋」は栽培されていたのだ。
「野菜の学校」信州の伝統野菜を掲載したが、追録として戴いた資料から下栗芋が檜原の地形とまったく同じ所で栽培されている。

隠元豆が今は美味しいと云いながら、一つ一つもいでいたが、「家で食べて」と戴いた。
畑の一角に、芽生えたばかりの野菜(写真をクリックする)。
これはと聞くと、自家採種した、のらぼう菜で、もう少し大きくなったら植え直すんだと云う。
今回は、大女将に色々とお話を聞くことができた。
江頭先生のご指摘の通り、「おいねのつる芋」は、当研究会の江戸東京野菜リストに掲載していなかったので、早速掲載した。 今後認証するように提案するつもりだ。

畑に行く途中、屋敷周りを案内してくれた。
秋篠宮様(当時・礼宮文仁親王)が2回ほど宿泊されたとか。
おじいさんが、戴いた色紙「難得糊塗」(意味はこちら。) を 宿泊記念碑として旅館の前に建てた。
クリックすると、岡部家のルーツは、甲州・武田武士の落人、信玄の娘、菊姫を祀る弁天がある。
帰りに、檜原役場の売店でジャガイモの焼酎を見つけ、もしやと思って購入した。
販売元に聞くとジャガイモは「男爵」で、檜原の農家15軒が栽培した1.4tを北海道に送って醸造しているという。
勿論、檜原の男爵も美味いからキャラクター「ひのじゃがくん」も生まれた。
当ネットワークのお一人で、かつて、山梨の山本ファーム(有)にお勤めだった、石巻の山口智子さんから、ブログをアップしたらすぐにメールを戴いた。
・・・・・(省略)
さて、檜原村のジャガイモの記事、大変興味深く拝読させて頂きました。
江戸時代の高野長英の『二物考』にジャガイモは、甲斐から信濃や上野、武蔵などに伝播したとあったと記憶しております。
山梨県の落合芋と長野の下栗二度芋、埼玉の中津川芋(紫芋の方)は、同じDNAだったとも記憶しております。
そして、中津川の紫芋は、明治以前に伝来したジャガイモのDNAだとされています。
1600年頃に日本に伝来したジャガイモの子孫だとされております。
きっと、檜原村のジャガイモも同じDNAをもつ貴重品種なのだと思いました。
今回と同じように、他にもどこかに眠っている希少価値のジャガイモが発見されるかもしれないという期待がもてました。
また、なぜか古い時代に伝来したジャガイモの周辺には、武田氏の伝説がありますことも不思議で興味深く思いました。
先生、これからも新たなる発見や興味深い記事を楽しみに致しております。
山口智子
被災生活でご苦労されている山口さんに、また励まされてしまいました。
山口さん有難うございました。
中津川から、北海道に行った方からいただき、作ったと聞いています。
もともと中津川は、寒く、肥沃でない土地なためか、中津川で育つのでは、と言うことでした。
現在も母が、中津川では中心になって作っています。
過去においては、村内や親戚・友人に親戚・友人に分けてあげていました。
記憶しているのは、私が幼少のころから、旧大滝村内の一族をはじめ、長野県(川上村・佐久方面)、群馬県(上野村)、両神村、栃本経由で山梨?
ネットでは、アンデス系では言われている先生がいましたが、私は、そちらが正しい見解ではないかと思っています。
ただし芋の色について、母と話しましたが、「昔はもっとピンクがかっていたよね」と話しましたところ、母も納得していました。
ただ起源については、聞いていなかったようで、分かりませんでした。
北海道の親戚は、札幌か帯広あたりから送ったと思います。帯広の方が有力かな?
現在、親戚の付き合い等していませんのでよくわかりません。
参考になれば幸いです。