東京にも残っている伝統のジャガイモを調査しようと云う経緯は、当ブログで紹介したが、
山形在来作物研究会会長の江頭宏昌先生に教えていただいてすぐ(9/6)、東京都西多摩農業改良普及センターに電話をした。
檜原地区の普及指導をされている菊池正人主任普及指導員に、檜原、奥多摩の情報を教えて戴いたが、その際、檜原に行く機会があったら、同行させてもらえないかとお願いしておいた。
「考えておきましょうと」と云うことだったが、ようやく先日、調査に行くと云うので、青梅市新町にある同センターに伺い、菊池主任の車の後ろからついて行った。
当日の予定は、檜原地区における在来作物の栽培状況の調査で、午前は薮馬地区、午後からは藤倉地区へ行くと云う。

最初に伺ったのは、檜原温泉センター「数馬の湯」。
岡部重久支配人が、「おいねのつる芋」の生産者・小林正江さん(75歳)を呼んでいてくれていて、色々なお話を伺うことが出来た。

支配人をクリックすると、支配人が温泉センターで栽培した写真。
小林さんは、山梨県の西原(さいばら)から峠を超えて嫁に来たと云う。
芋を植え付けるには1個を3つぐらいに切っても腐敗しないように藁灰などを付けて植える。
人里(へんぼり)あたりの下の方では、早い人は2月に植えるらしいが芽が霜にやられるから、小林さんは地温が上がる、4月に植え込むと云う。
収穫は葉が枯れる7月末ごろとなる。病気には比較的強い。収穫は男爵より遅く小さい芋がたくさんできる。
ジャガイモの保存は屋根裏や床下に入れて、凍らないように保存している。という。
同温泉センターでは、「おいねつりも」と表示して展示されていた。
説明には「明治の初期にオイネさんが山梨から種芋を持って嫁入したという言伝え・・・」。とあった。
言い伝えは、予想通りだが、名前が違う。
三頭山荘の大女将岡部里久子さんに「おいねのつるいも」と云われたことを紹介すると、支配人からも、「つる」は「蔓」ではなく山梨県「都留」郡から来ているとの資料も紹介された。
北都留郡丹波山村には、伝統の落合芋があり、この芋と思われる。

小林さんは「おいねのつる芋を人里辺りの人が来て食べたら、数馬の芋は美味しく味が全く違うと驚いていた。」と・・・。
この辺は、海抜680b、霧深く、昼と夜の温度差が大きいから、味が濃いと云われる。
土壌には小石が混じり、急峻な地形は水はけが良いからだろう。
支配人は、貴重な「おいねのつる芋」を沢山塩茹でにしてくれていて、皮のまま戴いたが、小林さんは、お手製の味噌を持って来てくれていて、「ネギ味噌をつけて食べるのが一番美味しい」と言っていた。
小林さんの味噌は、温泉センターでも売っていて、美味しかったから土産に買った。

NHK『キッチンが走る!』のスタッフから7月に、「奥多摩町峰谷で出会った農家に、昔から作っているというキュウリを紹介されたが、これは江戸東京野菜の一種でしょうか。名前がわかったら教えてください」。と写真を添付したメールをもらった。(奥多摩は9/16放送された。)
クリックすると山梨の「翡翠瓜」にも似ている。と思ったが、わからないと応えるしかなかった。
今回、小林さんに写真を見せて、キュウリについても聞いてみた。
小林さんは翡翠瓜と同じものを作っていると云う。
檜原でもこのキュウリを作っていいたのだ。
来年、実る頃に伺いたいと言って、支配人、小林さんにお礼を言って失礼してきた。
色々お話や資料を戴いたし、キュウリの存在など大きな成果があった。

藤倉地域に行くにはもう一度役場のあるところまで戻る必要があり、山を下った。
途中、菊池さんがシクラメン栽培をしている高橋亨さんのお宅に立ち寄った。
庭先にのらぼう菜の苗が置いてあった。
近所の農家の方々が栽培した不揃いの野菜や、移り住んだ ”檜原雅子さん” が作った「ひのはら紅茶」も置いてある。
ここでは、カボチャを購入した。
役場には電動のエコカーが3台導入されていた。 充電設備は初めて見た。
檜原役場は新築のビルに建て替えられ、JAあきがわ檜原支店が入居し、郵便局が併設されていた。
藤倉地区の取材は明日報告する。