午前中の薮馬は昨日紹介したが、引き続き、薮馬地区からひと尾根越えた藤倉地区へ行くため、もう一度、村役場のあたりの本宿まで戻った。

藤倉地区への案内は足立区生まれの丸山美子さん(檜原村議会議員)。
地域固有産品の維持やみなおし、また、地域固有の料理を継承したり、発信するなどに取り組まれていて、おいねのつる芋や在来のコンニャクの生産にも力を入れている。
40年前にご主人の二郎さんが当時の村立藤倉小学校に赴任してから、檜原の人情や自然に魅せられて、そのまま住みついたと云う。
同じ元教員の田倉栄氏と二人で、ご案内を戴いた。

山道を歩いて家に帰るところの、平野ハルエさんにばったり、そのまま、お宅に伺った。
「おいねのつる芋」については、栽培していなかったが、薮馬で栽培されていたキュウリについて、写真を見せて伺うと、丁度、玄関先でタネを干しているのを見せてくれた。
さらに山道を登ったところに、檜原村デマンドバス終点の「上白岩」のバス停があった。
1日3便(月〜金)だけだった。

バス停から石段を登ったところに、田倉一郎さんのお宅、標高800bで檜原では一番高い所のお住まい。
奥さんの信子さんが親切に対応してくれた。
おいねのつる芋の話をしたら、ここでは薮馬芋とも云うとのことで、縁の下にもぐって出してくれた。
保存の方法は、薮馬の小林正江さんに聞いていたが、その場を撮らしていただいた。(田倉さんをクリックする)
無造作に縁の下に転がっていた「おいねのつる芋」、中には芽が出ているものもあった。
赤い品種もある。
帰り際、信子さんがせっかく出したからと、芋を持って行けという。
都立園芸高校の横山修一先生に、檜原に行くと言ったら、手に入るようだったら欲しいと言っていたので、信子さんには「園芸高校で栽培しますから」と言って戴いてきた。
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急峻な畑には、山菜の「ワラビ」が栽培されていた。

田倉栄氏が、ここには、和玉のコンニャクが残っていると、畑に連れて行ってくれた。
ここでは支那玉(写真左上)と呼んでいたが、茎が黒い中国産のコンニャクが一般的だが、茎が白っぽい在来種のコンニャクは檜原の貴重な財産として保存活動をしているという。
クリックすると、田倉さんのコンニャク玉。
在来種は、玉を擂るとピンク色できめ細かく上がりが良いと云う。

檜原きのこセンターで生産された舞茸。美子さんからお土産に戴いた。
クリックすると、
田倉信子さんのお宅から少し下ったところに、舞茸生産農家の中村力氏が経営する「檜原きのこセンター」。田倉栄さんと話す中村氏(左)。
舞茸は、JAあきがわの直売所と伊勢丹に出荷していると云う。
行きには畑に行っているらしく留守だったが帰りに寄ると長老の田倉亨さん(80歳)が、収穫してきたサトイモの処理していた。
山の上の方に、生まれた実家があるが、下の方に屋敷を作って住んでいる。
在来作物についてのお話を聞くことができた。
藤倉地区に入る前に昼食は 10月10日にオープンしたばかりの、ひのはらイタリアン「ヴィッラ・デルピーノ」で戴いた。

クリックするとオーナーシェフの松村哲朗さん(右)、シェフの義父・丸山ニ郎さん(ご案内戴いた美子さんのご主人)、と古民家研究の中山さん。

「ひのジャガ」と「玉ネギ」のスープ。
玉ネギの香と、甘さを、ベースのジャガイモが引き立てていた。

お水は、山奥から引いた藤倉の水、冷えていて美味しい。
クリックすると義母・美子さんが焼いたパン。
地元湯久保の柚子酵母で発酵させたもの。

きのこのパスタは大好物、藤倉のきのこセンターの舞茸に、ニ郎さんが住まいの湯久保で栽培した原木椎茸。
香りが素晴らしく、青柚子を絞っていただいた。
松村さんはソムリエで、料理は素材に寄り添って作っているが、丸山さんご夫妻が地元の食材を持ち込む等の支援をしているから、安心安全の檜原を味わえる。
締めは、クッキーにコーヒー、松村さんがこだわりのコーヒーは心安らぐ。
来年は、おいねのつる芋、檜原キュウリ、在来コンニャクにもイタリアンとして挑戦してもらいたいものだ。
檜原村本宿5493-1 TEL 042-598-1054
10:30〜22:00 水曜日休み
この度、藤倉地区をご案内戴いた「東京ひのはら地域協議会」の田倉栄会長と丸山美子さん
ありがとうございました。
また、西多摩農業改良普及センターの菊池さんにはお世話になりました。