11月下旬に、新宿区立大久保小学校4年( 担任 兼元由香利先生 )の平田宗也くんから電話をもらった。
「今僕たちは、総合学習の時間で江戸東京野菜を調べています。いろいろ分からないところがあるので、学校に来て教えてもらえませんか」と言うものだった。

同校で栽培されている内藤トウガラシの八房種とウコン。
内藤トウガラシが栽培されていた、「内藤新宿」の「内藤」は、信州高遠藩の内藤家の屋敷があったところからその名がある。
初代の内藤清成は馬術の名手で徳川家康から、「馬で一息に回ってきた範囲の土地を屋敷として与える」と言われ、草深い西へ、大久保、さらに南へ代々木、そして東へ千駄ヶ谷、四谷を回って家康のもとに戻ってきた。
そこで与えられたのが、現在の新宿御苑の広大な土地が屋敷となった。
後に、その屋敷内で栽培されたのが、内藤トウガラシと内藤カボチャだ。

大久保小学校に入ると、5ヶ国語の歓迎文で出迎えてくれた。
日本語、韓国語、中国語、英語、それと・・?・?・?スペイン語 。
廊下には、学校だよりが、日本語、タガログ語、韓国・朝鮮語、中国語、英語、タイ語、スペイン語と7ヶ国で掲示してある。
また、世界の標準時が掲示してあるのも他の学校にはないものだ。
同校の地域は韓国系飲食店などが多く、同校生徒約200名の内40名が韓国と関わりのある児童。30名が、中国、台湾、フィリピン、タイなど、各国と関わりのある児童だと云う国際的な学校だ。
写真をクリックする、板澤健一副校長が説明してくれた。
同校では、地域の歴史を学ぶ中で、開校130周年記念事業で、つつじを里帰りさせ、「地域文化財にしたい」と言う。
今回の取組について、担任の兼元先生は、11月13日に江戸東京野菜の勉強会、スタディー&カフェに来てくれていたから、先生の方針は伺っていた。
前日、遅くまでかかって4年生のために「新宿ののうぎょう」のパワーポイント(30分)を作ったが与えられた時間は90分。
新宿の伝統野菜と言うと、早稲田ミョウガ、鳴子ウリ、そして内藤トウガラシと内藤カボチャだが、今栽培されている伝統野菜の写真も沢山挿入した。

兼元先生に案内されて、教室に入ると児童の目が輝いていた。
歓迎の挨拶は、安ソンミさんで、「今日来ていただいたのは・・・・。」と立派なご挨拶をスラスラと・・・、恐縮してしまった。
パワーポイントを見る、集中力が違う。
写真が変わるたびに知っている野菜が出ると反応が大きい。
そして、残った時間は質問タイムだが、全員が手を挙げた。
内藤トウガラシ、内藤カボチャは勿論だが、シントリ奈、谷中ショウガ、大越ウリ、品川カブ、滝野川ニンジン、滝野川ゴボウ、練馬ダイコン、大蔵ダイコン、亀戸ダイコン、砂村三寸ニンジン、砂村ナス、砂村ネギ、馬込三寸ニンジン、馬込半白キュウリ、寺島ナス、雑司ヶ谷ナス、金町コカブ、奥多摩ワサビ、東京ウド、川口エンドウ、のらぼう菜、下山千歳ハクサイ、三河島菜・・・、と32名の児童がダブらないように、1人1人に質問された。
「亀戸ダイコンは誰が名前を付けたんですか」、「下山千歳ハクサイはどこで作られていましたか」等で、伝統野菜は名前が付いているだけにその場所が何処なのかは知りたいらしい。
砂村( 現・砂町 )、寺島( 現・東向島 )など、地名が変わって、地図に載っていない名前もある。
なぜそんなに、江戸東京野菜の名前を知っているのか、不思議だったが、インターネットの他、私の江戸東京野菜「物語篇」と「図鑑篇」を熟読してくれていたようで、感謝だ。
それにしても、ものすごい集中力で、休憩時間なしのぶっ通しでも集中力が切れない。
この理由は後で兼元先生に教えて戴いた。
「他教科とは合科的に行っていて、道徳や社会、国語と関連させながら学習を進めています。
今回は情報収集したことを国語科の ”リーフレットをつくろう” と関連させてリーフレットを作製しています。
子ども達は、自分たちで調べた情報以外にも知りたい情報を得るために、予想以上の質問で、予定の時間をかなりオーバーいてしまいました。」
と云うことで、どんなリーフレットになるのか、楽しみだ。
「内藤カボチャを調べている人、前に出てきてください。」と言うと、李美沙さんが出てきた。
そこでサプライズ “お土産です! ”と言って菊座カボチャ( 内藤カボチャも菊座 )をプレゼントした。
包みを解く間、美砂さんの手元を見つめる児童たちからは、「何だ!」とか「もしかして!」等の声が聞こえたが、菊座カボチャが出てきたので、びっくりし、そして大喜びだった。
花落の方から見ると菊の花に見えるところから、その名があるが、なんでも、このカボチャを探していたという。
このカボチャには、タネが入っていますから、食べた後は、タネを干して、来年蒔いてくださいと美沙さんにお願いした。
15日には、総合的な学習の時間で内藤トウガラシでカレーライスづくりを実施すると言う。
「カレーパーティには是非、ご出席ください。」とお招きいただいた。
同校が取り組んでいる「内藤トウガラシ」は、前任の岡村理絵先生が昨年、ミュゼダクリのスタディ&カフェに出席されて、栃木県大田原市の吉岡博美さんから、「八房トウガラシ( 内藤トウガラシも八房 )」の苗を入手したことから始まっている。
昨年の8月に写メールで栽培中の写真を送ってもらったのは追録で紹介している。
老舗のお菓子屋さんとスイーツを開発していると云う情報も知らせてくれた。
そして、地元の老舗和菓子屋(新宿 岡埜栄泉)と共同開発して、饅頭ができたことも・・・。
内藤トウガラシを通して、世界の食文化まで学んだ。
今年は、岡村先生を引き継いだ兼元先生の方針も素晴らしく、児童たちが最後まで集中力を切らさずに、充実した授業になったように、カレーパーティーも期待が持てる。
また、今回は、東京農大の4年生、芳賀みどりさんが同行して、アンケートを先生にお願いしていたから、後日、当ブログで紹介する。
ここに、小泉八雲が住んでいたとは知らなかった。
碑をクリックすると「小泉八雲終焉の地」の碑
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は嘉永3年(1850)ギリシャのレフカダ島に生まれた。明治23年アメリカの新聞記者として来日、その後記者をやめ 小泉セツと結婚 松江、熊本で教鞭をとった。
明治29年、日本に帰化し、以来 東京帝国大学、早稲田大学で英文学を講じながら『怪談』等、幾多の英文による名作を執筆した。
明治35年市谷富久町からこの地 大久保に居を移した。
明治37年(1904)9月26日 妻子の身を案じ 自分の仕事を気にしながら 「ああ 病気のため・・・」の悲愴な一語を残し 帰らぬ人となった。時に54歳であった。
伝統的な日本文化を広く欧米に紹介した彼の功労に対し 大正4年日本政府は従四位を追贈した。
わが国の自然と文化をこよなく愛し、その真の姿を伝えた功績は偉大であり 高く評価されている。
東京都新宿区長 山本克忠
同校から横道に入ったところには小泉八雲記念公園があり、小泉八雲の胸像があった。
これは、新宿区と小泉八雲の生まれ故郷であるギリシャのレフカダ町とが友好都市提携をしたことを契機として平成5年(1993年)に開園したもの。
園内にある小泉八雲の胸像はギリシャ政府から送られたもので、園内のギリシャ風の古代柱や花壇などはギリシャの趣を漂わせている。