JA東京みどり(高橋信茂組合長)の江戸東京野菜生産者グループが、恒例の現地研修会を実施した。
JA東京みどり立川地区における江戸東京野菜の取組は2008年から、亀戸ダイコン、金町コカブ、伝統小松菜の栽培がはじまった。
昨年からは、その品質が評価されて、亀戸ダイコン料理の老舗、亀戸升本からその生産を依頼されるまでになった。
このことは、当ブログでも紹介している。
昨年の夏、鈴木さんにお願いして、鈴木藤一さんが「採り伝えているタネ」をいただいて、清水理作さんが栽培したが、市販の「白茎亀井戸大根」とは、やはり違うと云う。
そこで、亀戸ダイコンの栽培では、第一人者、葛飾高砂の鈴木さんにお会いしたい、畑が見たいと生産者達から声があがり、この度の視察となったもの。
生産者の清水理作氏、清水繁雄氏、清水丈雄氏、内野英樹氏、JAの比留間誠部長、原省三課長、桂誠立川支店担当の7名を案内した。
鈴木さんの屋敷裏の枯れ草の中に、亀戸ダイコンらしきものを見つけた理作さん。
「これは・・・ ?」と、「そこでタネを振るったからこぼれたんだろう」と鈴木さん。
自家採種をしている農家ならではである。
昨年の夏、鈴木さんにお願いして、鈴木さんが「採り伝えているタネ」をいただいて、理作さんが栽培したが、市販の「白茎亀井戸大根」とはやはり違うと云う。
そこで生産者達が「鈴木さんの畑が見たい、栽培のノウハウを聞きたい」と云うので、JAから仲介の労を頼まれた。
しかし、鈴木さん(83歳)は数年前に、地域の役員等全てを次世代の方々に譲った。
マスコミの取材等も断り続けている。
それを知っているから、奥様に「鈴木さんにお会いできなくても、畑だけでも見せてください」と了解を取っていた。
久々に、鈴木さんにお会いしたが、お元気だった。
鈴木さん無理を聞いてくれて「お茶でも飲んでから!」と、鈴木家に伝わる亀戸ダイコンの話を色々と聞かせてくれた。
理作さんも、生産者だけがわかるポイントを聞いていた。
鈴木さんの畑は、テレビを始め、新聞、雑誌などでも色々と紹介されてきたから有名で、亀戸ダイコンを栽培している生産者にとっては、「聖地」なのだ。
皆さん、鈴木さんの畑のヨシズ張りも見たいと言っていたが、これからヨシズを設置するとのことで、時期が少し早かったようだ。
上の画像をクリックすると、。
2008年に伺った時のことをフードボイスで紹介している。

上の画像をクリックする立川の生産者たちに、鈴木さんは熱心に説明してくれた。
カスリーン台風(1947年9月)によって、東京の東部が浸水したことで、1949年11月、中川放水路(現・新中川)の開削が本格化した。
鈴木家は放水路の分流地点に近い開削予定地に住んでいたから、立ち退きを余儀なくされ、川の畔に移り住んで亀戸大根を栽培してきたと言う。 1963年3月に中川放水路は完成した。
橋上から本流の中川と新中川をみる参加者達。
写真をクリックすると、「あおとばし」の奥にスカイツリーが見える。

視察後、一行は東京の食材にこだわる、押上「よしかつ」で意見交換を行った。
スカイツリーの撮影ポイント、十間橋で全員が記念撮影。
今回の企画は、前から計画されていたので、高砂から押上までは案内したが、急遽帰らなければならなくなり押上から先に失礼した。
後日、皆さんからは、充実した意見交換が行われたと報告を受けた。