JA東京あおば赤塚支店で先週お話したが、今度は練馬地区の皆さんの会から招かれた。
ここでも、顔見知りの皆さんが懐かしさも手伝って大勢来てくれた。
特に、今回、この企画を立ててくれた奥山久男さんが、大竹が来るから来ないかと誘ってくれたので、懐かしい農家の方々に会うことが出来た。

奥山さんは、勤め先は異なるものの同い年で、昭和40年度の日本大学全学応援団長だったから今もって行動力がある。
一昨年、新宿で江戸東京野菜の話をした時に、聴いてくれていて、
今回江戸東京野菜が話題になっているからと提案してくれたもので、懇親の席では、懐かしい方々に次々にお酌をしていただき、旧交を温めることができた。

平成9年の記念事業として、かつて江戸からの産地等に農業説明板を建立したらと提案したのを、取り上げてくれたのが、当時会長をされていた加藤源蔵翁( 説明板の左、)で、右が当時東京都神社庁の庁長をされていた赤坂日枝神社の宮西惟道宮司、左端が小生。
この事が今日、江戸東京野菜の復活への原点になっている。
練馬での講演した2月23日は、練馬出身の翁の命日で、偶然だとは言い切れない因縁を感じる。
しかも、翁のお導きか、更なる発展を感じさせる方々が、聴きに来てくれていた。
お一人は、北区のまち興しとして、「おでん」の街にしようと、北区と東京商工会議所北支部が立ちあがった。
その責任者の一人・田村純朗氏が、滝野川の日本農林社・近藤宏社長の紹介で見えた。
北区では、かつて100店以上あったおでん屋がコンビニの台頭で、35店舗程に減少したと云う。
そこで、江戸の食文化を継承する「江戸東京野菜」を食材として導入をしたいと考えていると云う。
もう一人が、新宿区立鶴巻図書館の八木敏仁館長。
早稲田ミョウガの捜索活動で、早稲田の地で見つけた「ミョウガの生育地」の保全と伝承を、図書館の事業活動として、地元の人たちと取り組みたいと云う。
早稲田地域の人達が引き継いで戴けるのは有難いことで、個人的には、今後共に活動していきたいと思っている。
なんと、練馬大根のコスチュームで走るランナーがいました^^
もしかして、江戸東京野菜関係者かな?っと思ったりして。。。