先月の話だ。 寒い日だったが神田須田町の、名代「あんこう鍋」の老舗「いせ源」に行ってきた。
前からお誘いしていたミュゼダグリの納所二郎さんも都合が良いと云うことで、18時に秋葉原で待ち合わせて向かったが、店の前には行列ができていた。
「いせ源」の立川博之専務とは、江戸東京野菜の「東京うど」が取り持つ縁で、親しくさせていただいているが、「行く、行く」と云いながら、失礼し続けていた。
今年こそはと思って、時間を作って伺った。

「いせ源」は、江戸末期の天保元年(1830)創業のどじょう料理専門店として暖簾を掲げたと云う。
様々な鍋料理を出していたが「あんこう鍋」に人気が集中して、大正時代にあんこう料理の専門店になったと云う。
ショーウインドウには、あんこうが展示されていた。
上の写真をクリツクすると。
建物は、大正12年の関東大震災で全焼した後、昭和5年に建て直されたもので「東京都選定歴史的建造物」に指定されている。
昭和初期のたたずまい。 店に入ると、下足番がいて、木の下足札をもらって席に着いた。
上の写真をクリツクする。
同店一帯は戦争でも焼けなかった地域。何軒か先には、鳥すきの「ぼたん」、その先には「藪蕎麦」がある。
これだけの老舗が昔のたたずまいのまま残っている地域も珍しい。

前菜 牡蠣、ワカサギ、菜花

煮こごり
あんこうの卵巣を特製の出汁で煮たもので、コラーゲンが一杯。
上の写真をクリツクする。
煮こごりは、ワケギの刻みが美しい。
透き通った宝石のようで、料理の職人の美学を垣間見る。
厚く切った「きも刺し」はもみじおろしで。

メインのあんこう鍋には、江戸東京野菜の「東京うど」が乗っていた。
上の写真をクリックする。
あんこう鍋に「うどは付きものだ!」と、昔、日本橋「ゆかり」の二代目・野永喜一郎氏に教えてもらったことがあった。
アンコウ鍋に欠かせない理由は、白菜や大根では水分が多く、ウドならタレを邪魔しないという。
2009年だったか、江戸から明治に創業した老舗で組織する「東都のれん会」の若い経営者たち「東若会」の新年会に招かれ、神田明神下のうなぎ屋「神田川」でお話をさせてもらったことがあった。
その時に、初めて立川さんにお会いした。
立川さんはまだ、うどの生産現場は見たことがないと云うので、今度案内することを約束し、後日、立川の須崎雅義さんのお宅に案内した。
立川さんは、東京うどの穴に入って感激したようで、収穫し終わったうどの根を記念に持ち帰った。
因みに、今週の10日、9:30〜9:55テレビ朝日系「食彩の王国」は「東京うど」だと云う。
番組の流れから、須崎さんご夫妻が、いせ源に鍋を食べに来たという。
また、先日、三國清三シェフも、今度の食彩の王国で「東京うど」の料理を披露したと伺った。
忘れずに録画のセットをしておいてください。

あんこうの唐揚げ、
上の写真をクリックする。
唐揚げ、
とも和え(右下)、煮込んだあんこうの身を肝と調理味噌で和えたもの。
我々の席は、立川さんの配慮で、大部屋の床の間を背にしたところにセットしていただいていた。
床の間の横の棚には、あんこうの剥製が飾ってあったが、あらためて見ると背中に斑点がある。

最後に、おじやで、あんこうのエキスをそっくり戴いた。
茶わん蒸しに、香の物
老舗の料理と情緒を堪能したひと時だった。
帰りには、立川さんが店の外まで見送ってくれた。
立川さんお世話になりました。
テレビ「食彩の王国」が楽しみだ。